名寄・算数数学教室より

たかが算数、されど算数
小学生、中学生との算数・数学を使った
コミュニケーションを綴ります

分からない子どもが、分からない大人

2013-02-09 10:39:45 | 一般

最近になって、ようやくニュースなどでも取り上げられるようになってきました「学習障害」

学習障害には、

読字障害(ディスレクシア)、書字障害(ディスグラフィア)、算数障害(ディスカリキュリア)

という分類があるそうです。

うまく読めない、うまく書けない、うまく数えられない、というこれらの性質は、

現代の「できて当たり前」という社会の中では「障害」という言葉で差別されています。

程度の差はあれ、うまく読めない、うまく書けない、うまく数えられない、という人は存在します。

 

算数の問題の中には、文章問題という式が書かれていない問題があります。

まず、文章を読んで理解しなければ式が作れません。これを国語力と言う方もおられますが、おおよそ国語の授業では出てこないであろう言い回しがたくさん出てきます。

みんなが同じスピードで読み、みんなが同じスピードで理解し、みんなが同じスピードで計算することを強要される社会。

これを当然としてこの社会に子供達を引きずり込んでいいのだろうか?

明らかに学習障害に仕分けられた子どもとお話ししたことがあります。

好きなことを聞いて、それについて質問しますと、それはそれは流ちょうで個性的な日本語で答えてくれるのです。素晴らしい会話でした。

中学生が頭を抱える図形問題を、少しのヒントで素早く答えてしまう学習障害の小学生。


この社会は、個性を大事にしようとしているのだろうか?