2,3日前のTVの某番組で岩手・盛岡市を紹介する旅ものをやっていた。その中で、筆者が紅顔華麗な(??)青少年の頃から今でも大好きな石川啄木の事など紹介していた。そこで今夏に山登りで行った折の啄木所縁の場所などお目にかけましょう・・・! 先ずは石川啄木記念館、彼の生涯については此処から観て行かねば語れないでしょうねー・・・。
彼が少年時代を過ごした渋民村、記念館横には彼が代用教員として子供らに教鞭をとっていた小学校を
移築して残されていました。前景には啄木と教え子の銅像が・・・!そして同じく啄木一家が間借りして
暮らしていた家・斎藤家も其の横に移築されて残されていました。
かにかくに 渋民村は恋いしかり 思ひでの山 思ひでの川
この小学校で子供らに慕われつつも校長と争って職を辞さざるを得なくなり、
故郷をあとにするのでした。
石をもて 追はるるごとく ふるさとをい出しかなしみ 消ゆる時なし
小学校の中の教室も当時のままに残されていたのでした。
あはれかの 我の教えし子等もまた やがてふるさとを棄てて出づるらむ
啄木一家が間借りしていた斎藤家は、結構大きな建物で、その中の
一室(6畳間)で家族全員が暮らしていたようです。
この部屋が家族6人が住んでいた其の6畳まです。
ふるさとの山に向ひて 言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな
此方の山は、姫神山 今夏に初登頂して来た山で、見かけに依らず山頂付近は
結構急坂の山で、老いの身には少々堪えた山でした。
そして此方が岩手山、啄木がこよなく愛したふるさとの両山です。
啄木一家のお墓は現在函館の立待岬の墓地にあります、筆者も2,3度かの地を訪ねて
みて来ました。 筆者が好きな彼の詩の幾つかを・・・・
潮かおる北の浜辺の砂山の かの濱薔薇よ 今年も咲けるや
函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢くるまの花
不来方の お城のあとの草に臥て 空に吸はれし十五のこころ
友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て妻としたしむ
砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日
又その昔に彼が活躍した北海の地、小樽、釧路、根室、札幌などの街で彼の足跡を訪ねて、
若き日の彼の思いなどに浸った事もありました。
啄木の歌は不思議です。
悲しい寂し過ぎますね。
盛岡の一つ手前の日詰の街の来迎寺の中野環さん。素敵な人でした。
北上川に一緒に行く予定だったのにだめになってしまった。
悲しい寂しい思い出の盛岡でした。
渋民村は現在では盛岡市内の一部に編入されているんですよ。 啄木の短い生涯は本当に貧困と病との闘いに疲れ果て、彼の青春はあっと言う間に終わったのですねー・・・!彼の愛した北上川、岩手山・・・、本当に好い所でした。