玉姫祭(8月9日)土笛奉納演奏(金沢市の天徳院) 2016
珠姫祭での演奏場所等の下見に寄った際、からくり人形による「珠姫・天徳院物語」の上映を 拝見。
三男五女を儲け24歳で他界した珠姫が、3歳で江戸から金沢にお輿入れになり、14歳で結婚の時、
5歳上の前田利常が、空に架かる虹のアーチを見て
「そなたは あの虹のように、江戸と加賀をつなぐ架け橋になってくれ」とのセリフが胸を打ちました。
(サイモンとガーファンクルの “明日に架ける橋” を連想する人がいるでしょうか)
上映の後には、お茶席に案内され、横浜から来られた御二人と抹茶を頂きました。
横浜にある曹洞宗の大本山「總持寺」の近くに住み、以前も金沢を観光されたとか。
茶碗の焼き味もよく、「愛語」などの文字に見とれ話が盛上り、ついお茶の味は頭に残らず(((^^;)
広く幽玄な庭に出ると、俗称 “ナンジャモンジャ” と呼ばれる樹木のうちの「ヒトツバタゴ」(モクセイ科)が花の季節の後に、青々と繁茂し、そこかしこに庭師の心配りが見えます。
お寺に隣接する「天徳幼稚園」では、親子が菜園で収穫していたり、のびのび遊ぶ子どもたち。
園に入れるために、県外から家族が移住して来るケースが珍しくないといいます!
〈珠姫祭〉
毎年8月9日(火)に、金沢市の 曹洞宗 金龍山 天徳院で「玉姫祭り」として法要が行われます。 大乗寺同様の建築様式を持つ大きな寺院です。
珠姫(たまひめ・1599~1622)は、前田利常(まえだとしつね)の正室で、徳川家康の内孫。
3歳で江戸から金沢にお輿入れになり14歳で結婚、三男五女を儲け24歳で他界。
同年、珠姫の菩提を弔うため 高野山に天徳院が、翌年 金沢にも天徳院が、共に前田利常によって建立されました (利常は、加賀 前田家3代。前田利家56歳時の4男として出生)。
天徳院では、珠姫の遺徳を偲び、命日(元和8年7月3日)を換算した 新暦8月9日を中心に法要を行っています。
今なお強く印象に在るのは、併設の「天徳幼稚園」とのご縁。
1998年11月4日、文化活動係 家庭学級から、「オカリナ交流会(約30分)」&「子供たちを救う食環境のお話(約90分)」の講師で呼んで頂いたこと。
「 …小児成人病、アレルギーなどの問題も多く、キレる子供と食生活との関連も指摘されるなか、親として子供たちの食生活を見つめ直し、何が大切なのかを考えたいと思っています。玄米食・自然食の試食もあります。…」
と、「はだしっ子だより」の案内文にあります。
講演の後も話題彷彿。当時最先端を行く、意識ある素晴らしいお母さんたち!
現在も 天徳幼稚園児は、素敵な管理栄養士さんの元、玄米食共に 園内菜園もある理想的な養育環境にあります。
祖母や叔母の話では、大工棟梁だった 筆者の祖祖祖父 上村喜兵衛(江戸~明治) や 祖祖父 上村善太郎(江戸末年~大正) が 天徳院の増改築等に関わったと云います。
同じ小立野4丁目に住まいし(当時は鶴間)、屋根裏の柱に棟梁としての記名があるとも。目に見えない繋がりが続いていたのでしょうか…
拝観時に、からくり人形による「珠姫・天徳院物語」の上映を 見れば、当時の風情を感じられますよ。
★天徳院:http://tentokuin.arunke.biz/
珠姫祭での演奏場所等の下見に寄った際、からくり人形による「珠姫・天徳院物語」の上映を 拝見。
三男五女を儲け24歳で他界した珠姫が、3歳で江戸から金沢にお輿入れになり、14歳で結婚の時、
5歳上の前田利常が、空に架かる虹のアーチを見て
「そなたは あの虹のように、江戸と加賀をつなぐ架け橋になってくれ」とのセリフが胸を打ちました。
(サイモンとガーファンクルの “明日に架ける橋” を連想する人がいるでしょうか)
上映の後には、お茶席に案内され、横浜から来られた御二人と抹茶を頂きました。
横浜にある曹洞宗の大本山「總持寺」の近くに住み、以前も金沢を観光されたとか。
茶碗の焼き味もよく、「愛語」などの文字に見とれ話が盛上り、ついお茶の味は頭に残らず(((^^;)
広く幽玄な庭に出ると、俗称 “ナンジャモンジャ” と呼ばれる樹木のうちの「ヒトツバタゴ」(モクセイ科)が花の季節の後に、青々と繁茂し、そこかしこに庭師の心配りが見えます。
お寺に隣接する「天徳幼稚園」では、親子が菜園で収穫していたり、のびのび遊ぶ子どもたち。
園に入れるために、県外から家族が移住して来るケースが珍しくないといいます!
〈珠姫祭〉
毎年8月9日(火)に、金沢市の 曹洞宗 金龍山 天徳院で「玉姫祭り」として法要が行われます。 大乗寺同様の建築様式を持つ大きな寺院です。
珠姫(たまひめ・1599~1622)は、前田利常(まえだとしつね)の正室で、徳川家康の内孫。
3歳で江戸から金沢にお輿入れになり14歳で結婚、三男五女を儲け24歳で他界。
同年、珠姫の菩提を弔うため 高野山に天徳院が、翌年 金沢にも天徳院が、共に前田利常によって建立されました (利常は、加賀 前田家3代。前田利家56歳時の4男として出生)。
天徳院では、珠姫の遺徳を偲び、命日(元和8年7月3日)を換算した 新暦8月9日を中心に法要を行っています。
今なお強く印象に在るのは、併設の「天徳幼稚園」とのご縁。
1998年11月4日、文化活動係 家庭学級から、「オカリナ交流会(約30分)」&「子供たちを救う食環境のお話(約90分)」の講師で呼んで頂いたこと。
「 …小児成人病、アレルギーなどの問題も多く、キレる子供と食生活との関連も指摘されるなか、親として子供たちの食生活を見つめ直し、何が大切なのかを考えたいと思っています。玄米食・自然食の試食もあります。…」
と、「はだしっ子だより」の案内文にあります。
講演の後も話題彷彿。当時最先端を行く、意識ある素晴らしいお母さんたち!
現在も 天徳幼稚園児は、素敵な管理栄養士さんの元、玄米食共に 園内菜園もある理想的な養育環境にあります。
祖母や叔母の話では、大工棟梁だった 筆者の祖祖祖父 上村喜兵衛(江戸~明治) や 祖祖父 上村善太郎(江戸末年~大正) が 天徳院の増改築等に関わったと云います。
同じ小立野4丁目に住まいし(当時は鶴間)、屋根裏の柱に棟梁としての記名があるとも。目に見えない繋がりが続いていたのでしょうか…
拝観時に、からくり人形による「珠姫・天徳院物語」の上映を 見れば、当時の風情を感じられますよ。
★天徳院:http://tentokuin.arunke.biz/