福島からの旧暦元旦年賀状と 熊野の修験者
昨年のクリスマス前、突然 GREEN NOTE に訪ねて来られた福島のご夫妻から、旧暦正月元旦(新暦2月8日)に年賀状が届いた。
旧暦元旦に届くように年賀状を出そうと思ったことがあるのでほほえましくおもう。
それは12月22日夕方のこと、「“光正(こうしょう)”さんに聞いてきたんですよ!」
えぇ~っ(゜ロ゜) … …
紀伊山地・熊野の修験者 立石光正さんに紹介されたという。サプライズだ!
発端は 知り合いのお寺さんから、熊野の修験者が筆者のオカリナを求めているとの連絡から。
注文を確認しつつ、不思議なご縁だと 本人を確かめ直接渡したいと思ったのだった。
2004年3月 オカリナを携え、青春18切符で金沢から南紀の新宮まで、延々11時間の普通電車乗り継ぎの旅となった。
動物とぶつかる危険や85km/hの速度制限もあるという紀勢本線(きせいほんせん)をガタガタと通り抜ける。尾鷲湾が美しく湖面を湛えていて大泊駅前の桜は三分咲き…みかんの樹が目立ってくる。
新宮駅を下車して出るとデンと立つフェニックスが歓迎!
「古道そば」に入ると、ソバ120円、トッピングのかき揚げ100円、めはり寿司100円(鰹節やシラスを入れ醤油味のご飯を高菜で巻いてある) (゜ロ゜)
新宮からバスで40分ほど行くと、神丸バス停に光正さんが車で迎に来てくれ、さらに山を上がる。
山中に安置された夜の護摩堂に招かれ入るや、ほら貝を持ち「ブオ~ブオ~」と鳴らし「金沢から上村 彰さまのお越し~ …」と、迎えの挨拶や祈祷とも云える一連の儀式。
少し下方の自宅では、奥さんの細やかな煮物料理で歓迎してくれ、光正さんから火山 久の名が出て驚いたが、その場の即興曲で合わせる芸当を互いに楽しんだ。
彼が修験道に入る前の砂漠や山やノルウエーなどへの旅でのオカリナの話も興味深い。
翌朝は、ほら貝の講習に行くと誘われ、朝もやが立ち込める護摩堂や宿坊“山学林”を出発。
到着まで延々三時間、転落も辞さない危険なグネグネ上下する狭い稜線づたいを走り130kmもの道のり。なんと明日香村の少し南まで北上して来たのだった。
そこは、吉野山に座す、金峯山寺(きんぷせんじ)の脳天大神・龍王院(のうてんおおかみ りゅうおういん)と称し、修験道の開祖である役の行者が開かれた霊山だという。
社叢林に囲まれた野外で ほら貝の講習。食事の後に、参集(参詣)した25人ほどのうち16名ほどが ほら貝を鳴らし迫力ある護摩行の勤め。荘厳極まる!
続く野外の講習(呼吸中心の体操、吹奏、クラス分け練習…)の後に室内での勤行。
古代に土笛と土の音を、神に奉納したとも伝わるように、ほら貝とその音と人は大いなる自然・宇宙・神の恵みへの感謝と崇敬を通して一体であるかのようだ。
福島からの奥さまは、宮内庁雅楽部で日本古来の「和琴(わごん、やまとごと)」を習っていたそうで驚いた。土笛を作りながら、古代アッシリア起源といわれる正倉院の竪琴“箜篌(くご) ”の復元を夢みたこともある。
マザー・テレサの家(マザーハウス)で頂いたという、マリア像を彫った小さなペンダントを“どうぞここに”と置いていかれた。素敵なご縁に感謝!
昨年のクリスマス前、突然 GREEN NOTE に訪ねて来られた福島のご夫妻から、旧暦正月元旦(新暦2月8日)に年賀状が届いた。
旧暦元旦に届くように年賀状を出そうと思ったことがあるのでほほえましくおもう。
それは12月22日夕方のこと、「“光正(こうしょう)”さんに聞いてきたんですよ!」
えぇ~っ(゜ロ゜) … …
紀伊山地・熊野の修験者 立石光正さんに紹介されたという。サプライズだ!
発端は 知り合いのお寺さんから、熊野の修験者が筆者のオカリナを求めているとの連絡から。
注文を確認しつつ、不思議なご縁だと 本人を確かめ直接渡したいと思ったのだった。
2004年3月 オカリナを携え、青春18切符で金沢から南紀の新宮まで、延々11時間の普通電車乗り継ぎの旅となった。
動物とぶつかる危険や85km/hの速度制限もあるという紀勢本線(きせいほんせん)をガタガタと通り抜ける。尾鷲湾が美しく湖面を湛えていて大泊駅前の桜は三分咲き…みかんの樹が目立ってくる。
新宮駅を下車して出るとデンと立つフェニックスが歓迎!
「古道そば」に入ると、ソバ120円、トッピングのかき揚げ100円、めはり寿司100円(鰹節やシラスを入れ醤油味のご飯を高菜で巻いてある) (゜ロ゜)
新宮からバスで40分ほど行くと、神丸バス停に光正さんが車で迎に来てくれ、さらに山を上がる。
山中に安置された夜の護摩堂に招かれ入るや、ほら貝を持ち「ブオ~ブオ~」と鳴らし「金沢から上村 彰さまのお越し~ …」と、迎えの挨拶や祈祷とも云える一連の儀式。
少し下方の自宅では、奥さんの細やかな煮物料理で歓迎してくれ、光正さんから火山 久の名が出て驚いたが、その場の即興曲で合わせる芸当を互いに楽しんだ。
彼が修験道に入る前の砂漠や山やノルウエーなどへの旅でのオカリナの話も興味深い。
翌朝は、ほら貝の講習に行くと誘われ、朝もやが立ち込める護摩堂や宿坊“山学林”を出発。
到着まで延々三時間、転落も辞さない危険なグネグネ上下する狭い稜線づたいを走り130kmもの道のり。なんと明日香村の少し南まで北上して来たのだった。
そこは、吉野山に座す、金峯山寺(きんぷせんじ)の脳天大神・龍王院(のうてんおおかみ りゅうおういん)と称し、修験道の開祖である役の行者が開かれた霊山だという。
社叢林に囲まれた野外で ほら貝の講習。食事の後に、参集(参詣)した25人ほどのうち16名ほどが ほら貝を鳴らし迫力ある護摩行の勤め。荘厳極まる!
続く野外の講習(呼吸中心の体操、吹奏、クラス分け練習…)の後に室内での勤行。
古代に土笛と土の音を、神に奉納したとも伝わるように、ほら貝とその音と人は大いなる自然・宇宙・神の恵みへの感謝と崇敬を通して一体であるかのようだ。
福島からの奥さまは、宮内庁雅楽部で日本古来の「和琴(わごん、やまとごと)」を習っていたそうで驚いた。土笛を作りながら、古代アッシリア起源といわれる正倉院の竪琴“箜篌(くご) ”の復元を夢みたこともある。
マザー・テレサの家(マザーハウス)で頂いたという、マリア像を彫った小さなペンダントを“どうぞここに”と置いていかれた。素敵なご縁に感謝!