おいしい朝ごはん

おいしい朝ごはん食べましたか 私はまだです

キヨスクが消えていくのは

2007年05月18日 19時47分18秒 | ALWAYS三丁目の夕日
キヨスクが消えていくのは、その成り立ちからして、さびしいし残念だ。
そして駅中に新しく出来たJR系のコンビニの主力商品は、当然新聞ではない。
ただ感心したこともある。
携帯電話の充電サービスを100円でおこなっていることだ。
これは、急場しのぎとしては、大変便利だ。
充電中は鍵がかけられるようになっているので、安心して他のことができる。
時代の流れとしては、コンビニに転換していくことは、やむをえないことかもしれない。
冒頭で、成り立ちについて触れたが、昔は鉄道職員の殉職や負傷が少なくなかったので、残された家族のためにキヨスクなどの制度があったのだ。
本日のテレビ報道によると警察官の方が殉職されている。
遺族を雇用する制度は今の時代に適さないとしても、悪い制度であったとはおもえない。



ALWAYS 三丁目の夕日/ブーフーウー

2005年11月09日 23時56分50秒 | ALWAYS三丁目の夕日
映画ではテレビのスイッチを押すと、
力道山が空手チョプを振るう場面が現れた。


私の家に、初めてテレビが入ったとき
スイッチを入れたると
ブーフーウーが始まった。
たとえようもなく幸福だった。

しかし、幸福な時間は長くはつづかなかない。
テレビが来たのは昼間だった。

そして、その当時
たとえそれがNHKでも
昼間のテレビには
休み時間が多かった。
だから、
ブフーウーが終わると、
テレビはお休みの時間になった。

当時ほとんどすべて生放送だったから
放送局の中の人も大変だったのだ。



鈴木オートのテレビは、
プロレス中継の途中で画面が暗くなってしまった。
はたして、何がおこったのだろう。

ALWAYS 三丁目の夕日/ラジオの時間/みんなのラジオから個のラジオへ

2005年11月09日 06時21分35秒 | ALWAYS三丁目の夕日
映画はラジオの音で始まった。
この間まで、家庭の娯楽の中心はラジオだった。
しかし、家にテレビがやってくるとラジオは個人で聞くものになった。

テレビで放送される力道山の勇士を一目見るために
町内の人たちが、みんな自動車修理店にやってくる。
戦災で妻子をなくされた
三浦先生や
タバコ屋のおばさん、
普段中の悪い茶川先生も見にきている。
昭和33年当時、テレビのある家は
東京の下町でもかなり少なかった。

家庭で娯楽王座から滑り落ちたのはラジオだったが、
外では映画がまだ空前の繁栄を続けていた。
しかし、映画界はテレビを警戒していた。
そして、その危惧はあたった。

ラジオ放送の業界では
ソニーがトランジスタラジオを売り出すころから
深夜放送を始めた。

真空管式のラジオと異なりトランジスタラジオは
どこででも聞くことができた。
ニッポン放送のオールナイトニッポンは
糸井五郎に続いて
カメちゃんを人気パーソナリティにしていった。
TBSのパックインミュージックでは
キンキンこと愛川欣也が現れた。

やがてビートたけしもオールナイトニッポンに登場した。

そして、ホリエモンのおかげで、
今年カメちゃんこと亀淵氏が
ニッポン放送の社長になっていることを知った。

ラジオはパーソナルメディアになったが、
新聞はテレビに負けず依然として報道の主役だった。
朝の家庭では新聞の奪い合いが続いていた。
一瞬にして昨日の情報を確認できるからだ。

ところがインターネットが出でくると、
もう誰も新聞を読まなくなった。
だってどの記事も
インターネットで見たことのある記事だ。

新聞はテレビ欄を見るためだけにとっている。

そしてラジオは
私の場合、
百円ショプで買った
中国製のイヤホンラジオで
済ませるようになった。


ALWAYS 三丁目の夕日/東京タワー

2005年11月08日 22時00分58秒 | ALWAYS三丁目の夕日
キングコング対ゴジラ
という映画で
銀座の和光と
東京タワーを始めてみた。
だけど、
それは特撮用の模型だった。

現実の東京タワーと銀座の和光を見たのは
平成に入ってからだった。

なのに青森からやってきた六子は、
昭和33年に
ちゃんと
本物の東京タワーが
作られていくのを見ていた。

これは多分製作に
日本テレビが入っていることが
関係しているに違いない。

その日本テレビによって
東京タワーにも
第二タワーの構想が
着々と
実現しようとしている。
そうなれば
今の東京タワーは、
どうなるのだろう。

だけど、
昭和33年のこの年、
東京タワーは
確かに
都民の希望の塔だったのだ。

ALWAYS 三丁目の夕日/家にテレビがやってきた/ラジオの時間

2005年11月08日 07時19分49秒 | ALWAYS三丁目の夕日
私の家で
初めてテレビをつけたとき、
テレビはブフーウーをやっていた。

映画では
スイッチを入れると
画面に
力道山が現れた。

だけど
テレビには昼間でも
お休みの時間が多く、
実際には
みんな
ラジオを聞いていた。

だから、
この映画は
真空管ラジオの
音で始まる。

ALWAYS 三丁目の夕日/今日も、明日も五十年後も夕日は・・・

2005年11月07日 23時56分57秒 | ALWAYS三丁目の夕日
映画の時代設定は昭和33年、
この年日本テレビが
東京タワーを建設していた。

この映画の
東京タワーと
西に沈む夕日は
あすへの希望を
意味している。

この時代に比べ
格段に豊かになり、
その代わり
明日への希望を
見失いがちな
私たちの
望みは、
いったいどこに
いってしまったのだろう。

だからJRは
新幹線の名前に
のぞみと名づけた。

もう、ひかりの時代ではないと。