おいしい朝ごはん

おいしい朝ごはん食べましたか 私はまだです

ローマ一おいしいジェラート

2006年02月28日 22時05分00秒 | イタリアをバスで走る
とにかくジェラートの種類が半端ではない。
ローマに着いたときには十二月になっていたというのに同行の皆さんは何種類も沢山注文している。
しかし、食べてみると、これがおいしい。
添乗員さんの話ではローマ一ジェラートのおいしい店という話だったが話半分に聞いていたので三種類しかトッピングしなかったのがくやまれる。
ここのジェラートは、和菓子でいえば手作りの本生菓子といおうか、大量生産していない繊細な舌触りなのに味わいは芳醇で密度がある。
アイスクリームとしては結構なお値段だけに材料も吟味されているようだ。

朝市のモレッツアチーズ

2006年02月28日 21時41分12秒 | イタリアをバスで走る
団体旅行の朝の食卓は心なしかせわしない。
けれども今朝は心豊かな朝食をいただいた。
若い人たちがナポリの朝市でモレッツァを買ったが、二人だけでは食べきれないのでお分けしたいという。
格安ツアーの朝食はあまりリッチではなかったので、うれしかった。
白くて丸い新鮮なチーズをナイフで切れ分けると、断面は日本の絹ごし豆腐のように緻密だ。
動物性の食品であるのに、すこぶる繊細で淡白なあじわい。
豆腐と違うのは心地よい歯切れ感があることだ。
つくりたてのおいしさはチーズといえども現地でなければ楽しめない。




イタリアの観光バス

2006年02月27日 22時40分05秒 | イタリアをバスで走る
イタリアの子供はかわいくていたずら好きだ。
そしてイタリアの男の子は、そのまま大人になる。
だからイタリアの車は交通法規をほとんど守らない。
ところが、あまり深刻な交通事故は起こらないという。
イタリア人には運転について天性の才能があるからだそうだ。
しかし、私たちが乗ったバスの運転手は交通法規を良く守り、しかも運転の天才だった。
大型バスを、まるで乗用車のように軽々と車線変更し、機敏に運転していった。
ことに、アマルフィ海岸の狭い幹線で対向車をまるで手品のようにかわした。
彼がいなければ、アマルフィでの観光がこんなに楽しくはなかったろう。
しかし、彼もやはり、人間だった。
アマルフィ越えの翌々日には胃の検査に行くという。





アマルフィ海岸の手絞りレモンジュース

2006年02月27日 22時38分25秒 | イタリアをバスで走る
バスがアマルフィの絶壁の上にある店に到着した。
老いも若きもバスから降りて青い海を眺めた。
潮風に喉の渇きを覚えて名物のレモンジュースを注文した。
レモンジュースは注文を受けてからおばあさんが、ゆっくりと作り始める。
一杯のジュースに大振りのレモン一個を全部使う。
砂糖はほとんど入れてないが、愛想はとてもいい。
ほら、もうできあがった。
思ったほどには酸っぱくはないが、やっぱり酸っぱい。
だけどアマルフィの海岸を眺めながら飲むレモンジュースは夢のように薫り高く、美味しい。

眠れる河馬

2006年02月26日 23時21分16秒 | Weblog
北の国の動物園に、その河馬はいた。
夏も冬も、昼も夜も、のうのうのうと眠っている。
遠い南の国の夢でも見ているのだろうか。

しかし、河馬には記憶があった。
今では河馬自身も定かでない記憶だ。

遠い昔、河馬は東西南北を旅した。
河馬の形をした車の中の小さなプールに乗って旅した。
春には、風が吹くと花が舞い散った。
初夏の夜には蛍が舞った。
秋には祭囃子が聞こえた。
冬には、ことしの冬のように沢山の雪が降った。
それでも粉雪が舞う中を、小さな子供たちが
河馬の車の後ろを、いつまでも歩き続けた。

また、冬が来て北国の動物園にも雪が降り始めた。
そうだ、と河馬はうなづく。
あの旅の記憶は、本当の記憶だ。
ほら、動物園に、また子供たちがやってきた。


波止場のコーンピザとカプチーノ/おいしいナポリ

2006年02月26日 20時48分56秒 | イタリアをバスで走る
サンタルチア港のバールで地元の人がピザを注文していた。
地元の人の食べているものが食べたくなって私も注文した。
バールの外のカフェテラスでピザにかぶりついていると、鳩が寄ってきた。
日本と同じように、こちらでもまったく人を恐れない。
よくないことと、思ったが、ほんの少しだけ鳩にわけてやった。
添乗員さんも同じ店でカプチーノを飲んでいだ。
それで私もカプチーノを買った。
結果的に、ここで飲んだカプチーノがイタリアで飲んだコーヒーのなかで一番旨かった。

石に住まう

2006年02月23日 22時34分33秒 | Weblog
聖堂列柱は古代の神殿を思わせる岩肌だった。
その聖堂の奥深く、あの方は眠っておられた。

石切り場で働き、演劇を志し、対話を好まれた。
硬い石の文化の中で柔らかい言葉を話された。
冷たい石の時代に暖かい心について語られた。
そのとき、石は和らぎ暖かくなった。

今、聖堂の石は冷たく硬い。
冬が来たのだ。
片隅では慌しく新年の準備が始まった。
古い太陽は沈み、新しい太陽が昇る。

しかし、彼の前で祈る婦人の真摯な姿を忘れることはないだろう。
たとえ、私が木の家に住む者であっても。

もやし

2006年02月23日 22時32分07秒 | Weblog
もやしだけしか買わない客も、お店の客だ。
いつか、きっと他の品物も買ってくださる。
だから、もやしは新鮮なものを並べなきゃいけない。

男にはかつて、飢えた記憶があった。
男は、それを何も話さなかった。
しかし、腹が減るつらさを誰よりも知っていた。


新鮮なもやしで作るもやしシチューは以外においしい。
晩秋の一皿にどうだろうか。

2006年02月23日 22時28分56秒 | Weblog
けして広くない店の中央に店長専用のカウンターを作っていた天ぷら屋が銀座にあった。ほかの店員たちは壁際のカウンターで揚げていた。
迷わず店長が揚げるカウンターにすわった。ところが、店長は天かすをすくっている。なんで店長がてんかすを作るのか。
店長はてんぷらのネタを氷水と小麦粉の中に漬け、引き上げるとき、水切りをしない。ぽたぽたとたれているまま熱い油に入れている。これでは、小麦粉が粘りようがない。そのかわり、切れていない小麦粉水の汁が瞬時にてんかすとなって鍋を覆う。店長の天ぷらを揚げている時間のほとんどは、上がってくる天ぷらかすをすくうことに費やされる。だから店長がてんかすを作っているように見えたわけだ。
本職は天ぷらの衣はこうやってつくるのか。家庭では、こんなわがままな揚げ方はできない。
が、揚がったてんぷらをいただくと、たしかに衣にまったく粘りがない。当たり前だ。本当に一度も混ぜていない天衣無縫の天ぷらなのだから。

さる方のドレスの姿を拝見したとき天衣無縫の言葉が浮かんだ。確かに回りはたいへんであろう。しかし、いい仕事を期待するのであれば手間と暇を惜しんではならなぬ。天ぷら屋の店長は納得の行く仕事をするためにはてんかす作りをいとわない。そうでなければいい衣はつくれない。いい衣がなければいいてんぷらにならない。
だから、彼女のドレスの姿に毅然たる決意と強い意気込みを見出したのだ。