おいしい朝ごはん

おいしい朝ごはん食べましたか 私はまだです

ローマからポンペイへ

2005年12月31日 05時02分42秒 | Weblog
第二ビルが完成するまでは羽田空港に着陸したときタラップを降りてバスに乗り空港ビルまで移動することがよくあった。
ローマ空港でも飛行機のタラップを降りてバスに乗り空港に向かった。
バスの中は日本人よりも外人のほうがおおかった。
いや、ここでは私たちのほうが外人なのだと気がついた。

ローマ空港の税関の並び口の表示はEUと非EUに大別されていた。
EU側の旅行者はすぐにOKが出されているが、非EUでの係官の聞き取りは執拗に長めだ。
自分の番が来た。
早い。
パスポートを眺めるだけで、すぐに終わった。
円の威力か。
しかしそこで、係官はパスポートを投げてよこした。
ツアーの日本人客を無審査に近い形で通関させなければならないことに不満があるようだ。
後で聞くと、どの日本人にもパスポートの渡し方が丁重ではなかったようだ。

空港ビルから出ると休むまもなくバスに乗るとすぐに発車した。
行き先はポンペイだ。
少人数のツアーであるのに大型のバスが使われているので空席が多い。
最後尾の座席に横になると、南イタリアの青空が見えた。
青空に小さな雲が浮かんでいた。
夜明けに飛行機で上から見た雲を今朝は下から見ているのだ。


雪のアペニン山脈を越えて

2005年12月31日 04時32分31秒 | イタリアをバスで走る
アドニア海上空から見たイタリア半島中心部は無数の小さな雲で覆われていた。
イオニア海側から雲が押し寄せてきているようだ。
当地でもお天気は西から崩れるのだろうか。
それでも一つ一つの雲はとても小さく、かわいらしい。
海岸線の街の明かりに沿った道路を走っていく車のヘッドライトが確認できる。
アペニン山脈が見えてきた。
最高峰の周辺は新雪に覆われている。
はじめてみるイタリアの雪景色。
機内放送がローマ空港の気温が低いので注意するよう呼びかけた。
また海が見えた。
イオニア海だ。
イタリアはもうすっかり夜が明けていた。
中央イタリアの農村部の景色は美しい。
通勤の車の形がはっきり見える。
今度は住宅街の街並みが続き始めた。
住宅街が過ぎると牧場の様な草地になった。
そして牧場の向こうにローマ空港が広がっていた。
僅かの振動の後、ローマ時間午前六時、外気温四度の空港に着地した。
朝日がまぶしい。

湯が嬉しいのは寒いときです/ゆずゆのゆ/ふりつむゆきの/とけゆきて

2005年12月23日 07時39分28秒 | イタリアをバスで走る
冬至の朝、雪が降り始めた。

定刻に乗車した岡山のバスは吹雪に弱く徐行を続けた。
偏西風は北極圏の冷気を列島上空に運び、地上は終日冷え、窓際に差し込む陽射しだけが強かった。
それでも、夕刻になると雪はほぼ解けた。

だけど今日は一年で一番夜が長い日だ。
瀬戸の潮風と海からの強い陽射しで育った柚子を、そっとやさしく湯に浮かべると、柑橘類の香りが、南国の旅の記憶を呼び覚ました。

海を見下ろすアマルナの街角で、おばあさんが笑顔で手絞りしてくれた地レモンのジュースは本当に酸っぱかったが、素晴らしい香りだった。

そんなことを思い出しながら地柚子の湯につかっていると、思わぬ長湯になってしまった。
心地よい柚子湯の秘訣は、小さくても新鮮な柚子を使うことだ。

明日から日足は日一日と伸びて行く。

アドリア海の海岸線に沿ってイタリアの町の明かりが見えた

2005年12月20日 20時56分28秒 | イタリアをバスで走る
上空では、もう夜が明けている。
しかし、地上はまだほの暗くオレンジ色の明かりが海岸線を形作っている。
走行している車のヘッドライトが識別できた。
イタリアの中心部の山々は新雪に覆われていた。
山々の上空には無数の雲が浮かんでいた。
そして、このときには何も知らなかったのだが、イタリアの地上ではストライキが行われようとしていた。

中近東を過ぎるとギリシャ半島が近づいてきた

2005年12月20日 06時50分22秒 | イタリアをバスで走る
ギリシャが中近東に近いことを実感した。
もう夜明けが近づいていた。
眼下にギリシャの町の明かりが見える。
彼方に海が見えた。
そして、其の向こうにイタリア半島が見える。
海の上にもイタリアにも無数の小さな白い雲が浮かんでいた。
一段と高度が下がりギリシャの海岸線の街明かりがはっきりと見えた。
ギリシャはまだ薄暗い。
しかし、アドリア海はもう青い。



シルクロード展

2005年12月19日 22時47分42秒 | Weblog
偏西風に逆らって香港からローマに飛んだ。
この偏西風が、張り出して今日本は大寒波である。
しかし、明日には何とか晴れてくるようだ。
ただし、名古屋は氷点下になる予定だ。
それだけではなく水曜日から木曜日にかけてまた寒波がくるらしい。
天気予報につられて寒波の話になってしまった。
中国とイタリアを結べは、話はかなり強行だ゛か、シルクロードである。
そういうわけど先週の土曜日シルクロード展に行ってきた。
敦煌、楼蘭などは井上靖の小説で覚えた名前だ。
これらの古代都市の上空を飛んでローマに着いたのだ。
夜間飛行だったので街明かりしか目に入らなかったけれど。

高度20000mのカップヌードル/人類は麺類/素麺の国からパスタの国に

2005年12月16日 22時00分41秒 | イタリアをバスで走る
キャセイ・パシフックのメニューは英語と中国語つまり、アルファベットと漢字で記されているが、正式の機内食についてるのはプラスチックの洋食器であり箸はつかない。
しかし、未明に間食として出されるカップヌードルは竹のお箸とともに供された。

思えばシルクロードは麺類おも、かの地イタリアに運んだ。
そして、私たちは、これからの十日間パスタ攻めにあうことなど、知る由もなく中国製カップヌードルの鶏がらスープの旨さに舌鼓を打った。
かって三越に納品されたという最初期の高価なチキンラーメンも、かのように薫り高い麺であったろう。

日立造船尾道向島西工場/全長190mの戦艦大和/2005/12/17発進

2005年12月15日 22時42分00秒 | 新作邦画
たとえそれが鋼鉄の装甲に程遠い巨大なプラモデルであったとしても、戦艦の甲板に乗船して木製のフローリングを踏みしめれば、あなたはすでに大和の乗組員だ。

ソシテ12月17日旗艦大和ハ正月映画海戦ニ決死ノ覚悟ヲモッテ突入スル。
総員配置ニツケ。繰リ返ス。総員配置ニツケ。

60年の歳月が変えていったものは何だったのか。
かの大戦に参加した若者の大半は既に80歳の坂を越えた。
それでも、なお、彼らは、その体験を忘れない。
わすれられない。
戦死していった友の記憶とともに。

なお、実際の戦艦の全長は263mであり、190mは実物大に再現した部分の長さです。



機内映画は中国語の字幕付

2005年12月14日 23時24分41秒 | イタリアをバスで走る
座席の液晶テレビでは、自分の好きな映画が字幕付で選択できた。
ただし字幕は中国語だ。
それでもすべて漢字で書かれているので耳で聞く英語と合わせると、なんとなく意味がわかる。
ダークエンジェルの主演女優ジェシカ・アルバが活躍する映画ファンタスティック・フォー[超能力ユニット] も当然漢字字幕付だった。

ディズニーのアニメ版百一匹わんちゃん大行進も三十年ぶりに見た。
小さな液晶画面で見ても、アニメーターの才気が際立ち、丁重なつくりだとわかる。
どうもディズニーアニメは昔のほうが水準が高かったようだ。

ダーク・エンジェル vol.1

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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ファンタスティック・フォー[超能力ユニット] <2枚組特別編>

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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101匹わんちゃん

ブエナ・ビスタ・ホームエンターテイメント

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シルクロードのかなたにさまよえる湖があった/ロプ・ノールは河の変化に応じて位置を変える

2005年12月14日 05時57分55秒 | イタリアをバスで走る
フランチェスコは、アッシジの絹織物商であった父にとって不肖の息子だった。
女遊びの好きな息子は、まったく商売を引き継かず、戦争に行って捕虜になり、父は高い身代金を支払わねばならなかった。やっとアッシジに連れ戻せば、あろうことか今度は宗教にはまり大切な商売道具を売りに出した。
その父が扱った絹織物を運んだシルクロードの上空を、今私は飛行機で飛んでいる。
この空の下を、マルコ・ポーロが歩いたのだ。
かつて読んだ、ヘディンのさまよえる湖も、この夜空のしたの何処かにあるだろう。

偏西風に逆らって飛ぶためか、風は常に逆風である。
機体がかなり揺れ始めた。
ベルト着用のサイン・ランプが点燈し、機長から注意を施すようにとのアナウンスが流れた。
このあたりは地表高度が高く、機としては地上に近い位置で飛ぶことになる。

飛行位置を表示する画面に黒海が見えてきた。

さまよえる湖

白水社

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中央アジアの草原にて カップヌードルは中国産がおいしい

2005年12月13日 20時44分54秒 | イタリアをバスで走る
窓のブラインドを開けると地上には街明かりが見えた。
そして上空には星が見えた。
液晶の地図は機体が中央アジアの高原にさしかかっていることを示していた。
こんなところにも街があるんだ。
この飛行機は国際線としては小型なので、ほんの少し低い高度で飛んでくれる。
だから遥かかなたとはいえ街明かりを粒子状に見ることができた。
再びブライドを降ろして眠りに落ち込んだ。
と、そこえ、なにやら芳しく、懐かしい香りが漂う。
まさか、こんなところにカップヌードルなどあるはずがない。
しかし、照明を落とした機内でもヌードルがはっきり見えた。
香りが僅かに違うのは、同じ日清食品の製造でも生産国が中国であったためだ。
食べてみて、はっきりと結論がでた。
カップヌードルは中国産の方がおいしい。
機は、中央アジアの高原を後にしていた。

ボロディン/交響曲第1番変ホ長調
マルメ交響楽団, ボロディン, 広上淳一
キングインターナショナル

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香港時間午前零時過ぎ離陸、眼下に百万ドルの夜景が広がった

2005年12月13日 06時39分03秒 | イタリアをバスで走る
空港内の香港の商店街のディスプレーは日本のものによく似ていて、それで居て微妙に違う。殊に化粧品売り場の色彩設計は洗練された香港風だ。
ローマ行きのゲートは、空港ビルの一番奥だった。
待合室コーナーのには深夜にもかかわらず人が多い。
ラテン系の人、イタリアの人が多いようだ。
ギリシャ彫刻の顔立ちの人もいる。
美人のイタリア人が少し陰のある男性と話をしている。
言葉はわからないけれど話の雰囲気は昔見たマルチェロ・マストロヤンニの映画そっくりだ。
かなり、きわどいはなしでありそうなのに陽気で明るく、其れでいて辛らつに話している。男はひたすら防戦に回っている。
このあたりは日本の男性と変わりはないようだ。
搭乗手続きが始まった。
ほとんどすべてエコノミークラスのお客さんばかりだ。
香港ローマ間の機体は香港大阪間のものよりも若干機体が狭かった。
座席も若干小さめだ。
しかし、離陸はきわめて順調だった。
腕のいいパイロットを使っているようだ。
この航空機会社のエコノミークラスは座席ごとに液晶テレビがついている。
そして、その画面に機の飛行位置や高度、気温、風速が表示される。
現在の液晶画面の地図上の飛行位置は、まだ香港上空だ。
しかし、窓の外では百万ドルの夜景がどんどん小さくなっていった。
慕情

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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