おいしい朝ごはん

おいしい朝ごはん食べましたか 私はまだです

やまなし/遠山繁年のかにの絵がかわいい  

2005年11月20日 21時57分38秒 | Weblog
他の絵本のやまなしを見ていないので
この やまなし が一番いい絵本だと言うことはできません。
けれども私は、この絵本の かに が大好きなのです。

やまなし

偕成社

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レビュー

内容(「BOOK」データベースより)
小さな谷川の底を写した2枚の青い幻燈―耳を澄ますと、小さな2匹の兄弟の蟹の無邪気で可愛らしい会話がすぐそこに、聴こえてくるようではありませんか。水が奏でる青い調べのように、ひとひらの花びらの一瞬の舞いのように、馨しい香りの夢のように、どこまでも透明で淡い幻想が水底で揺れています。宮沢賢治の世界を新進気鋭の遠山繁年がみごとに描いた1冊です。

マイルールは二つあります。

2005年11月18日 23時58分46秒 | Weblog
第一は、毎日、朝昼晩三度ご飯を食べることです。
それは、まず第一に健康のためです。
幸いなことに毎日実行できています。

第二は、一日三つのブログに書き込むことです。
そして、このブログが、その三つ目のブログです。
毎日がシンデレラのようにスリリングです。

今日はトラック・バッグのおかげでネタに困りませんでした。

やっとCDが焼けるようになった。しかし・・・

2005年11月16日 22時54分08秒 | Weblog
焼くというのは表現が不適切だ。
音楽CDの予備を作ることができるようになった。
設定を可逆的にすればデータは増えるが音質は損なわれない。
LPレコードなどは聞くたびに音質が低下したものだ。
CDでもカーステレオで聴けば盤は痛んだ。
これからは原盤を傷つけずに聞くことができる。

確かにヨーヨーマの無伴奏のバッハのCDに傷は付けたくない。

しかし、聞いても、聞いても原盤が痛まないのは、本当は少しおかしいと思う。
やっぱり焼かないことにする。

何回聞いても飽きないCDは本当に数すくないのだから。



ALWAYS 三丁目の夕日/ダイヤモンドは三か月分

2005年11月15日 00時02分27秒 | Weblog
駄菓子屋の茶川商店の三か月分の利益で買うにはダイヤモンドは高すぎた。
しかし、どうしても結婚指輪がほしかった。
仲の悪いはずの鈴木オートの社長から金を借りた。
それでも、足りなかった。


最近、セブン・イレブンのお菓子売り場に凝っている。
20円のチロルチョコ。
蒲焼さん太郎や酢だこさん太郎なら10円台だ。
○十年前の私の一日の小遣いが10円だった。
小遣いをもらうと10円玉を握り締めて駄菓子屋に走った。
5円で貸本漫画を借り、後の5円で菓子を買う。
その時の幸福感がコンビで味わえる。
但し、店員さんには迷惑だろう。




ALWAYS 三丁目の夕日/ブーフーウー

2005年11月09日 23時56分50秒 | ALWAYS三丁目の夕日
映画ではテレビのスイッチを押すと、
力道山が空手チョプを振るう場面が現れた。


私の家に、初めてテレビが入ったとき
スイッチを入れたると
ブーフーウーが始まった。
たとえようもなく幸福だった。

しかし、幸福な時間は長くはつづかなかない。
テレビが来たのは昼間だった。

そして、その当時
たとえそれがNHKでも
昼間のテレビには
休み時間が多かった。
だから、
ブフーウーが終わると、
テレビはお休みの時間になった。

当時ほとんどすべて生放送だったから
放送局の中の人も大変だったのだ。



鈴木オートのテレビは、
プロレス中継の途中で画面が暗くなってしまった。
はたして、何がおこったのだろう。

ALWAYS 三丁目の夕日/ラジオの時間/みんなのラジオから個のラジオへ

2005年11月09日 06時21分35秒 | ALWAYS三丁目の夕日
映画はラジオの音で始まった。
この間まで、家庭の娯楽の中心はラジオだった。
しかし、家にテレビがやってくるとラジオは個人で聞くものになった。

テレビで放送される力道山の勇士を一目見るために
町内の人たちが、みんな自動車修理店にやってくる。
戦災で妻子をなくされた
三浦先生や
タバコ屋のおばさん、
普段中の悪い茶川先生も見にきている。
昭和33年当時、テレビのある家は
東京の下町でもかなり少なかった。

家庭で娯楽王座から滑り落ちたのはラジオだったが、
外では映画がまだ空前の繁栄を続けていた。
しかし、映画界はテレビを警戒していた。
そして、その危惧はあたった。

ラジオ放送の業界では
ソニーがトランジスタラジオを売り出すころから
深夜放送を始めた。

真空管式のラジオと異なりトランジスタラジオは
どこででも聞くことができた。
ニッポン放送のオールナイトニッポンは
糸井五郎に続いて
カメちゃんを人気パーソナリティにしていった。
TBSのパックインミュージックでは
キンキンこと愛川欣也が現れた。

やがてビートたけしもオールナイトニッポンに登場した。

そして、ホリエモンのおかげで、
今年カメちゃんこと亀淵氏が
ニッポン放送の社長になっていることを知った。

ラジオはパーソナルメディアになったが、
新聞はテレビに負けず依然として報道の主役だった。
朝の家庭では新聞の奪い合いが続いていた。
一瞬にして昨日の情報を確認できるからだ。

ところがインターネットが出でくると、
もう誰も新聞を読まなくなった。
だってどの記事も
インターネットで見たことのある記事だ。

新聞はテレビ欄を見るためだけにとっている。

そしてラジオは
私の場合、
百円ショプで買った
中国製のイヤホンラジオで
済ませるようになった。


東京タワーが作られるまでの苦労を描いたNHKのプロジェクトXが今年で終了する

2005年11月08日 22時27分01秒 | Weblog
プロジェクトX 挑戦者たち Vol.1 巨大台風から日本を守れ ― 富士山頂・男たちは命をかけた

NHKエンタープライズ

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プロジェクトX 挑戦者たち Vol.2友の死を超えて ― 青函トンネル・24年の大工事

NHKエンタープライズ

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プロジェクトX 挑戦者たち Vol.3ガンを探し出せ ― 完全国産・胃カメラ開発

NHKエンタープライズ

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地上の星/ヘッドライト・テールライト
中島みゆき, 瀬尾一三
ヤマハミュージックコミュニケーションズ

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あのVHS開発の秘話もプロジェクトXが世に広めた。
あるレンタルビデオ店では、店のVHSビデオテープを一本?00円で売っている。もちろん映画が録画されているものだ。もはや、VHSの時代は終わりDVDの時代になったのだ。レンタルビデオ店はもう、巻き戻し作業の手間からは開放されるのだ。

ところが11月になり、家のネットが光に変わって受信可能になったネットの高品位映画の画質はDVDをはるかに凌いだ。
光ファイバーが広まれば、レンタルビデオ店の行くへは厳しくなるかもしれない。



ALWAYS 三丁目の夕日/東京タワー

2005年11月08日 22時00分58秒 | ALWAYS三丁目の夕日
キングコング対ゴジラ
という映画で
銀座の和光と
東京タワーを始めてみた。
だけど、
それは特撮用の模型だった。

現実の東京タワーと銀座の和光を見たのは
平成に入ってからだった。

なのに青森からやってきた六子は、
昭和33年に
ちゃんと
本物の東京タワーが
作られていくのを見ていた。

これは多分製作に
日本テレビが入っていることが
関係しているに違いない。

その日本テレビによって
東京タワーにも
第二タワーの構想が
着々と
実現しようとしている。
そうなれば
今の東京タワーは、
どうなるのだろう。

だけど、
昭和33年のこの年、
東京タワーは
確かに
都民の希望の塔だったのだ。

ALWAYS 三丁目の夕日/家にテレビがやってきた/ラジオの時間

2005年11月08日 07時19分49秒 | ALWAYS三丁目の夕日
私の家で
初めてテレビをつけたとき、
テレビはブフーウーをやっていた。

映画では
スイッチを入れると
画面に
力道山が現れた。

だけど
テレビには昼間でも
お休みの時間が多く、
実際には
みんな
ラジオを聞いていた。

だから、
この映画は
真空管ラジオの
音で始まる。

ALWAYS 三丁目の夕日/今日も、明日も五十年後も夕日は・・・

2005年11月07日 23時56分57秒 | ALWAYS三丁目の夕日
映画の時代設定は昭和33年、
この年日本テレビが
東京タワーを建設していた。

この映画の
東京タワーと
西に沈む夕日は
あすへの希望を
意味している。

この時代に比べ
格段に豊かになり、
その代わり
明日への希望を
見失いがちな
私たちの
望みは、
いったいどこに
いってしまったのだろう。

だからJRは
新幹線の名前に
のぞみと名づけた。

もう、ひかりの時代ではないと。




古代雑穀の復権

2005年11月06日 21時41分33秒 | Weblog
五穀豊穣という言葉がある。
日本で五穀とは米・麦・粟(あわ)・黍(きび)(または稗(ひえ))とされる。
しかし、五穀豊穣として使われる場合の五穀とは穀物の総称であるらしい。
かつて、米にも麦にも多様な品種があった。
いま、それらの忘れられた穀物が復活しようとしている。

たとえば、ある美術館では建物の屋上を使ってエンマー小麦の栽培を試みている。
そのエンマー小麦の籾はあるビール会社から分けてもらったそうだ。
この夏、そのビール会社がエンマー小麦で作ったビールの試飲会の希望者を募ったところ一万人以上の応募者が殺到したそうだが、のん兵衛ばかりが注目しているわけではない。

アレルギーの人の中には、パン小麦はだめでもエンマー小麦なら大丈夫という人もいるそうだ。もちろんエンマー小麦にもグルテンがあるから両方にアレルギーがある人もいるだろう。

しかし、小麦はこの二種類以外にもたくさんある。

また、米にしても、赤米があり、黒米がある。

赤米は小豆を入れなくても赤く、赤飯の元となったといわれている。
黒米はパソコンのワープロでも単語登録されていない。
が、実は黒米は李時珍の本草綱目にも記載されている由緒正しい古代米なのだ。

古代の穀物は、いずれも数千年に渡って栽培されてきた人類の貴重な財産だ。
しかし生産性の低さから近現代の農業革命以降、農家に嫌遠され、多くの種が絶滅寸前になってきていた。

しかし、たとえば日本では神田で栽培されて神事に用いることで絶えることなく受け継がれてきた。
もちろん、これらの種が実験室の中だけで生きていたのでは意味がない。
そこで、スーパーなどの一部では意識的に、これら雑穀を用いた商品の販売に取り組んでいる。
ただ現在のところ一般商品よりもやや割高になってしまうのが難点だ。
けれども、ホテルや旅館の朝食や夕食のご飯に五穀の幾つかを用いるのが流行している。
ことに赤米は色がきれいなので女性客に喜ばれているという。

なんとかして、古代雑穀の復権をブームに終わらせたくないものだ。



ローソンのおでん

2005年11月06日 20時51分11秒 | Weblog
土曜日に、田舎のコンビニに入ると旨そうなおでんがあった。
しかも、おでん全品20円引き。
ただし今週限り。
とすると、
20円引は、
その日が最後。
思わず、おでん全品、
ひとつづつ注文してしまった。
その店には14品あった。
店員さんが、おでんを容器に入れる。
意外と手間がかかる。
大根が取りにくい。
ゆで卵が掴みにくい。
しらたきが扱いにくい。
私の後ろに行列ができる。
レジは二つあるのに。
そうか、皆さんおでんを注文したいんだ。
何もしていない私の背中が、なぜか痒くなった。
が、辛子を四袋付けてもらうのを忘れなかった。

家に帰ってみんなで、おでんをたべた。

薄味のおでんが秋の風情で、熱燗によくあった。