おいしい朝ごはん

おいしい朝ごはん食べましたか 私はまだです

湯が嬉しいのは寒いときです/ゆずゆのゆ/ふりつむゆきの/とけゆきて

2005年12月23日 07時39分28秒 | イタリアをバスで走る
冬至の朝、雪が降り始めた。

定刻に乗車した岡山のバスは吹雪に弱く徐行を続けた。
偏西風は北極圏の冷気を列島上空に運び、地上は終日冷え、窓際に差し込む陽射しだけが強かった。
それでも、夕刻になると雪はほぼ解けた。

だけど今日は一年で一番夜が長い日だ。
瀬戸の潮風と海からの強い陽射しで育った柚子を、そっとやさしく湯に浮かべると、柑橘類の香りが、南国の旅の記憶を呼び覚ました。

海を見下ろすアマルナの街角で、おばあさんが笑顔で手絞りしてくれた地レモンのジュースは本当に酸っぱかったが、素晴らしい香りだった。

そんなことを思い出しながら地柚子の湯につかっていると、思わぬ長湯になってしまった。
心地よい柚子湯の秘訣は、小さくても新鮮な柚子を使うことだ。

明日から日足は日一日と伸びて行く。

アドリア海の海岸線に沿ってイタリアの町の明かりが見えた

2005年12月20日 20時56分28秒 | イタリアをバスで走る
上空では、もう夜が明けている。
しかし、地上はまだほの暗くオレンジ色の明かりが海岸線を形作っている。
走行している車のヘッドライトが識別できた。
イタリアの中心部の山々は新雪に覆われていた。
山々の上空には無数の雲が浮かんでいた。
そして、このときには何も知らなかったのだが、イタリアの地上ではストライキが行われようとしていた。

中近東を過ぎるとギリシャ半島が近づいてきた

2005年12月20日 06時50分22秒 | イタリアをバスで走る
ギリシャが中近東に近いことを実感した。
もう夜明けが近づいていた。
眼下にギリシャの町の明かりが見える。
彼方に海が見えた。
そして、其の向こうにイタリア半島が見える。
海の上にもイタリアにも無数の小さな白い雲が浮かんでいた。
一段と高度が下がりギリシャの海岸線の街明かりがはっきりと見えた。
ギリシャはまだ薄暗い。
しかし、アドリア海はもう青い。



高度20000mのカップヌードル/人類は麺類/素麺の国からパスタの国に

2005年12月16日 22時00分41秒 | イタリアをバスで走る
キャセイ・パシフックのメニューは英語と中国語つまり、アルファベットと漢字で記されているが、正式の機内食についてるのはプラスチックの洋食器であり箸はつかない。
しかし、未明に間食として出されるカップヌードルは竹のお箸とともに供された。

思えばシルクロードは麺類おも、かの地イタリアに運んだ。
そして、私たちは、これからの十日間パスタ攻めにあうことなど、知る由もなく中国製カップヌードルの鶏がらスープの旨さに舌鼓を打った。
かって三越に納品されたという最初期の高価なチキンラーメンも、かのように薫り高い麺であったろう。

機内映画は中国語の字幕付

2005年12月14日 23時24分41秒 | イタリアをバスで走る
座席の液晶テレビでは、自分の好きな映画が字幕付で選択できた。
ただし字幕は中国語だ。
それでもすべて漢字で書かれているので耳で聞く英語と合わせると、なんとなく意味がわかる。
ダークエンジェルの主演女優ジェシカ・アルバが活躍する映画ファンタスティック・フォー[超能力ユニット] も当然漢字字幕付だった。

ディズニーのアニメ版百一匹わんちゃん大行進も三十年ぶりに見た。
小さな液晶画面で見ても、アニメーターの才気が際立ち、丁重なつくりだとわかる。
どうもディズニーアニメは昔のほうが水準が高かったようだ。

ダーク・エンジェル vol.1

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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ファンタスティック・フォー[超能力ユニット] <2枚組特別編>

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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101匹わんちゃん

ブエナ・ビスタ・ホームエンターテイメント

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シルクロードのかなたにさまよえる湖があった/ロプ・ノールは河の変化に応じて位置を変える

2005年12月14日 05時57分55秒 | イタリアをバスで走る
フランチェスコは、アッシジの絹織物商であった父にとって不肖の息子だった。
女遊びの好きな息子は、まったく商売を引き継かず、戦争に行って捕虜になり、父は高い身代金を支払わねばならなかった。やっとアッシジに連れ戻せば、あろうことか今度は宗教にはまり大切な商売道具を売りに出した。
その父が扱った絹織物を運んだシルクロードの上空を、今私は飛行機で飛んでいる。
この空の下を、マルコ・ポーロが歩いたのだ。
かつて読んだ、ヘディンのさまよえる湖も、この夜空のしたの何処かにあるだろう。

偏西風に逆らって飛ぶためか、風は常に逆風である。
機体がかなり揺れ始めた。
ベルト着用のサイン・ランプが点燈し、機長から注意を施すようにとのアナウンスが流れた。
このあたりは地表高度が高く、機としては地上に近い位置で飛ぶことになる。

飛行位置を表示する画面に黒海が見えてきた。

さまよえる湖

白水社

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中央アジアの草原にて カップヌードルは中国産がおいしい

2005年12月13日 20時44分54秒 | イタリアをバスで走る
窓のブラインドを開けると地上には街明かりが見えた。
そして上空には星が見えた。
液晶の地図は機体が中央アジアの高原にさしかかっていることを示していた。
こんなところにも街があるんだ。
この飛行機は国際線としては小型なので、ほんの少し低い高度で飛んでくれる。
だから遥かかなたとはいえ街明かりを粒子状に見ることができた。
再びブライドを降ろして眠りに落ち込んだ。
と、そこえ、なにやら芳しく、懐かしい香りが漂う。
まさか、こんなところにカップヌードルなどあるはずがない。
しかし、照明を落とした機内でもヌードルがはっきり見えた。
香りが僅かに違うのは、同じ日清食品の製造でも生産国が中国であったためだ。
食べてみて、はっきりと結論がでた。
カップヌードルは中国産の方がおいしい。
機は、中央アジアの高原を後にしていた。

ボロディン/交響曲第1番変ホ長調
マルメ交響楽団, ボロディン, 広上淳一
キングインターナショナル

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香港時間午前零時過ぎ離陸、眼下に百万ドルの夜景が広がった

2005年12月13日 06時39分03秒 | イタリアをバスで走る
空港内の香港の商店街のディスプレーは日本のものによく似ていて、それで居て微妙に違う。殊に化粧品売り場の色彩設計は洗練された香港風だ。
ローマ行きのゲートは、空港ビルの一番奥だった。
待合室コーナーのには深夜にもかかわらず人が多い。
ラテン系の人、イタリアの人が多いようだ。
ギリシャ彫刻の顔立ちの人もいる。
美人のイタリア人が少し陰のある男性と話をしている。
言葉はわからないけれど話の雰囲気は昔見たマルチェロ・マストロヤンニの映画そっくりだ。
かなり、きわどいはなしでありそうなのに陽気で明るく、其れでいて辛らつに話している。男はひたすら防戦に回っている。
このあたりは日本の男性と変わりはないようだ。
搭乗手続きが始まった。
ほとんどすべてエコノミークラスのお客さんばかりだ。
香港ローマ間の機体は香港大阪間のものよりも若干機体が狭かった。
座席も若干小さめだ。
しかし、離陸はきわめて順調だった。
腕のいいパイロットを使っているようだ。
この航空機会社のエコノミークラスは座席ごとに液晶テレビがついている。
そして、その画面に機の飛行位置や高度、気温、風速が表示される。
現在の液晶画面の地図上の飛行位置は、まだ香港上空だ。
しかし、窓の外では百万ドルの夜景がどんどん小さくなっていった。
慕情

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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香港時間午後九時過ぎ香港空港に着地した。

2005年12月12日 23時16分09秒 | イタリアをバスで走る
香港に本社がある飛行機会社に登場したのだから中継ぎ空港が香港になるのはやむをえない。
ただ、私は香港空港はビルの谷間を飛行機が発着していると聞いていたのに、ずいぶんと、広々とした空港なので不思議だなと思った。
暫くして、それは旧空港の話で、もう何年も前に新空港になったのだと聞いた。
そういわれてみると、新しくて、物凄く巨大な空港だときがついた。
新しい香港空港は、関西空港よりも大きいようだ。
しかし、北京と上海の空港は、これよりも大きいのだろう。

ここで、関西空港での両替えをすべてユーロにしたのが間違いであったことに気がついた。
香港空港での乗り継ぎの時間が三時間以上あるのに、手持ちの現金はユーロと円しかない。ドルならどの店でも使用できるようだが、円はどの店でも使えるとは限らない。
実はちゃんと両替え所もあったのだが、初めてのイタリア旅行ということで頭に血が上っているので、両替え所など目に入らない。
もっとも仮に目に入っても、この時間では両替え所は閉まっていただろう。
やっとバーガーキングという、どこかで聞いたことのある店でコーラとフィレオ・フイィシュを買うまでに半時間を費やしてしまった。
しかし、本当はこれからの十時間以上に及ぶ飛行機の搭乗時間に恐れをなしていたのだ。


午後六時過ぎに関西空港を離陸した

2005年12月12日 22時58分04秒 | イタリアをバスで走る
初めてのヨーロッパ旅行を、あまり考えずに決めてしまった。
契約してから、バスの走行距離が尋常でないことに気がつく。
一日の走行距離が500キロを越える日が少なくとも二日ある。
300キロを超える日はざらだった。
しかも、行って見てわかったが、毎日20キロ近く歩くことになった。

しかし、結局体重はへらなかった。