ウチの親父の、『有名人を見た』自慢!

2006-07-04 | 昔の話
親父は昭和16年、満州に渡り、満州電業に就職。

愛新覚羅溥儀 (ジョンローン)
・・・「満州国」建国10周年記念式典、新京にて。

甘粕正彦大尉(坂本龍一)
・・・満映の理事長時代、満州電業に公演に来た時。偉そうに威張ってて、煙草を吸う時、電業の上司がホストの様に、腰を曲げて火を点けてたそうだ。

芦田伸介さん(部長刑事)
・・・親父の仕事仲間。『芦田は、全然仕事せずに、森繁久弥と演劇やったりしてた。』
10年余り前、広尾でバイトしてる時にお会いした。
『お父さん、お元気~?』『はい、元気で仕事をしてます~。』
『そう、宜しくお伝え下さい!』・・・・、とってもダンディーな人だった。
何度か、満州電業の同窓会があって、一緒に写っている写真が自慢!!

現役時代の李香蘭の映画!・・・映画館で観ただけの話。(山口淑子)

5年前に一緒に新京(現在の長春)に旅行に行った。
60年の歳月は長い。街は一部を残して、恐ろしく変貌を遂げていた。

大同大街、康徳会館、銀行、国務院、関東軍司令部などはそのまま残っていた。

満州どよよん紀行

アジア建築写真

父曰く、『満州は天国だったなぁ!日本人のみならず、シナ人に取っても・・・。全ての民族が平和に暮らしていた。のんびりしてたよ。』

『駅前で『ヤンチョ~~!』(多分“洋車”)って声を上げると、人力車が“ぶわ~~~~~!”って何十台も集まってきよった。』

『シナ人のやってるシナ料理は美味かった・・。ハラいっぱい食べても安かったよ~。』

因みに「シナ人」と言う呼称は、差別用語ではありません。
「チャンコロ」は蔑称、「チャン料理」もそれに近い。

偉い兵隊さんは、偉そうにしてたが、関東軍が、人民を抑圧してはいない。

馬賊や匪賊が駆逐された満州国は、それこそ天国だったから、内陸から、朝鮮から、どんどん人が入ってきた。
朝鮮人は、「朝鮮名」だとシナ人から虐められるので、「日本名」を名乗りたがった。『創氏改名』


日本人も、シナ人も、朝鮮人も、蒙古人も、満人も、みんな平穏に暮らしていたらしい。



雇用保険の使い道!

2006-07-04 | 難しすぎる話
雇用保険の一部は、色んな処でお役に立っています。

(昔)雇用促進事業団。(今)、独立法人:雇用・能力開発機構  厚生労働省の管轄。

どんどん、天下って行きます!    

独立法人:雇用・能力開発機構お仕事沢山!、給料沢山!

憤懣本舗!

「私の仕事館」!収入が1億円で、経費が20億円ほどって言ってたかなぁ・・・?


官僚、バンザイ!