<核持ち込み密約>・・・無いワケ無い。属国ニッポンだ!!

2009-07-12 | 戦争、紛争、国際問題。
<核持ち込み密約>米搭載艦寄港、外務省に密約本文 60年・63年、元条約局長証言

>外務省条約局長などを務めた元同省幹部が10日、毎日新聞の取材に対し、1960年の日米安保改定交渉の際に合意した核搭載艦船の日本寄港を認める密約本文が、外務省内に保管されていたことを明らかにした。寄港密約は60年1月6日に、当時の藤山愛一郎外相(岸信介内閣)とマッカーサー駐日大使が結んだもので、外務省の元担当幹部が密約管理の実態を詳細に証言したのは初めて。

 この幹部は密約については、米側で公開された公文書と同じものとしたうえで、英文で藤山、マッカーサー両氏の署名もあったと証言した。日本文も添付されていたという。

 63年4月4日に当時の大平正芳外相(池田勇人内閣)とライシャワー駐日大使が、米大使公邸で上記の密約本文を再確認し、大平外相が「持ち込みは核の搭載艦船の寄港・通過には適用されないことになる」と認めたことを示す日本側の会談記録も保管されていたという。

 さらに60年の日米安保改定交渉に外務省アメリカ局安全保障課長(当時)としてかかわった東郷文彦氏(後に外務事務次官、駐米大使)が密約の解釈や交渉経過などについて詳細にまとめた手書きの記録も残っていたとしている。

 その手書き記録は、当時の外務省の書式である2行書いては1行空ける方式で書かれ、青焼きコピーが繰り返されて見えにくくなっていたという。村田良平元外務事務次官の証言でわかった事務次官引き継ぎ用の日本語の文書も含まれている。

 これらの文書は外務省条約局(現国際法局)とアメリカ局(現北米局)で保管していた。

 この幹部は、北米局長、条約局長らの幹部はこれらの密約文書を把握していたと指摘。ただ、01年4月の情報公開法の施行に備えるため「当時の外務省幹部の指示で関連文書が破棄されたと聞いた」と証言している。

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↑:まぁ、有って当然だったろうなぁ・・・。
仕方が無いと言えば、仕方が無い話だ。

そんな事、当然よ。「勝てば官軍、負ければ賊軍!」・・・厳しいね。

2009-07-12 | 政治・経済
都議選 民主躍進、第1党へ 42議席当選確実 自公9議席

創価学会もショックだろうなぁ・・・・。


自民党議員は麻生に「責任を取れ!」と言うかも知れないが、
どっちに転んでもダメですよ~~~だ!

ワシは今度の選挙で、“ジタバタ”しなかった自民党員を覚えておく事にしようと思う。
姑息で見苦しい事をやった「策士」は去れ!
有名人を利用する輩だとか、有りもしない「隠然たる力」を見せる馬鹿とか、
選挙ポスターは誰と一緒に写ると得だ!・・・と、自分に自信の無いヤツとか・。


国民はシッカリと見てるからな。
正々堂々と「死ぬ覚悟」で闘った自民党員を、国民は受け入れるベキだ。



小林よしのり氏の『靖国論』は、些か物足りない。

2009-07-12 | 靖国神社
小林よしのり氏の『靖国論』は立派な作品ではあるが、
全編通してその殆どが大東亜戦争に関してである。
戊辰戦争に関しては記述が少ない。
これでは「靖国神社」の本質が判らないと思うのである。

P40など・・・絵の左翼びとが言うみたいに、
靖国神社は「新興宗教」と言える・・とワシは考える。
靖国には大した伝統は無い。

P12で、
>「靖国神社は『国家の政治的意思』で作られた。これは日本古来の伝統・習俗ではない。」
・・・・と左翼は言うが、
浅薄としか言いようがない。

↑:とあるが・・・左翼の言うとおりだ。
そもそもが、長州藩士のための社だ。

P36で、
靖国神社は明治2(1869)年 明治天皇の・・・聖旨により御創建された

↑:ここに描かれている明治天皇のお顔は、かなり歳をとられてからの絵だ。
実際は、19歳!子供の様な幼い顔が本当だ。
つまり、明治天皇の主導で建てられた!と言うよりも、木戸や伊藤に依って建てられたものだ。
やや誤解を生む描写である。

P201で、
>西郷どんも、白虎隊も、靖国神社には祀られていない。

↑:とある。
氏はP200の1行目で、西郷隆盛や白虎隊に対して敬意を表している。
これは非常に大事な事だ。
西郷どんや白虎隊が何故、朝敵になってしまったのかを読者は知るべきであろう。


P201の中ごろで、
>靖国神社はあくまでも近代国家建設の中で、軍にかかわって命を落とした
「英雄的な霊」を祀っていると考えればよい。

↑:とあるが、
それらが本当に英雄的なのかどうか!?を読者は真剣に考えるべきだ。
例えば、長州奇兵隊(武士では無い戦闘集団)が会津などでやった行為は、
果たして英雄的行為であっただろうか?
(戊辰戦争後には、彼らが国家から裏切られるのだが・・・)

東京招魂社の時(戊辰戦争~西南戦争)に祀られた人間と、その後の戦争で命を落として祀られた人間は、
その性質が本質的に違うのではないか???とワシは思うのだ。(命の尊さは変わらないぞ)

日清・日露や世界大戦で祀られている兵隊さんたちは、
あくまでもお国のため、大元帥陛下の命令に拠って、その尊い命を捧げて死んで行ったんだ。
だから、ワシは天皇陛下こそが、毎年「鎮魂の儀式」を行わねばならん!と思うのである。
特に昭和天皇は、毎年お参りするべきだったし(天皇として、そして又「大元帥」として)、
A級戦犯が合祀されて後は、一度も参拝されなかった!と云うのは、
ワシとしては、非常に“納得が行かん話”なのである。

読者は「明治維新」の成り立ちと、大元帥だった“軍人”昭和天皇の役割、
東京裁判での天皇不起訴と、東条英機が取った潔い態度をよく知るべきだ。

即ち、GHQもキリスト教会も「天皇ヒロヒト」を利用したいが為に天皇を不起訴とした。
天皇も「大室天皇家」存続の為に、国体護持と云う名目で
“軍人”大元帥陛下であったご自身の責任を綺麗に捨て去り、
全ての責任を東条英機一人に押し付けて、その責を負わなかった。

ワシは思うが、
昭和天皇はご自分の身代わりになった東条英機に対して、
途轍もない“呵責の念”に苛まれたのではなかろうか???
だから東条英機の怨念を感じ、合祀の後は一歩も踏み入られなかったのではないだろうか?
東条ほど、極力“お上の意”に沿って(従って)行動した軍人は、他に居まい!?
シナや朝鮮が騒いでくれたお陰で、それに託けられて都合が良かったのではないか?
・・・と言ったら言い過ぎだろうか???
白鳥・松岡などは、関係が無いと、ワシは考える。




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ワシは言う!
靖国神社の発祥理由が如何なるものであれ、そこに眠る多くの英霊達は
「日本国」の為、或いは「大室天皇家」の為、そして「長州維新政府」の為に命を捧げた訳だ。
従って今後、歴代天皇は、毎年靖国神社をお参りし、英霊達の御霊をお祀りするべきだ!
これを「国民の総意」として、我々一人一人が堂々と言えるようになるべきである。
外国が何と言おうと、天皇と首相は参拝すべきなのである。
「戦争を美化する」なんてとんでもない!!(そんなチッポケな話では無い!)

それは日本国民と大元帥陛下との「命の契約」であり、そして
それは日本国民と日本政府との「政(まつりごと)上の約束」だ。

だから、天皇と首相が靖国参拝をしない!という事は、
これほどの「国民に対する背任行為」は無い!と言える!




・・・・・と、ワシはそう考えるのだが、アナタはどう考える?



結論:

小林よしのり氏の「靖国論」は、我々国民が知るべき「靖国神社の本来の姿」が描かれてはいない!

長州・薩摩勢が、如何にして天皇という「玉」を手中に収めて官軍に成り得たか!?
戊辰戦争から西南戦争に至るまでの政府内派閥闘争の経緯はどうであったか!?
それが解かって初めて「東京招魂社」と「靖国神社」の本質、並びに相違点が理解できるのだ。


『靖国論』よりも
『東京招魂社論』!

・・・・こちらの方が重要なのだ。











今度は腹筋ガチャピン、つぎは腹筋ロッキー!

2009-07-12 | バカばなし。
あなたを元気づける「腹筋ガチャピン」

USBポートにとっては迷惑な話ではないか????

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全く話、変わるけど、
ワシが初めて東京に行った時、電車に乗る時に悩んだ事を思い出す。
ホームに入ってくる列車、「つぎ」と「こんど」!どちらが先に入ってくるのかが解からなかった。

「こんど」今度、この度・・・。
だからこっちが先だろうか?
「つぎ」・・・・今出た列車の“次”だから、今度入ってくる列車は「つぎ」の列車か???

あまりに悩みすぎたため、どちらの列車に乗ったのかすら覚えていない。

今でもあるのか?「つぎ」「こんど」


腹筋運動をしながら考えよう・・・・。