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興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

東日本大震災復興支援 Vol.13最終回 帰網

2011年05月15日 | 東日本大震災復興支援

 29日の午後7時、志津川高校で炊き出しの片付けを行い帰路につく事になった。

 高校の体育館を避難所としている方が、全員出てこられ僕たちを見送ってくれた。

 胸に込み上げるものがあったが、ありきたりな言葉で申し訳ありませんが頑張って下さい。帰ってからも忘れず何か支援できる事をしていきます。と挨拶して帰ってきた。

 大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町は14日、町最大の避難所となっていた南三陸町総合体育館(ベイサイドアリーナ)を閉鎖した。
 各避難所への支援物資の配送拠点にするためで、残っていた避難所91名は、別の避難所3カ所へ移った。と今日の『毎日新聞』に掲載されていた。

 タイトル写真は5月1日午後3時、魚吹く八幡神社に帰って来て機材を降ろしている様子だ。都合で現地に行けなかった待機班も連絡を受けたくさん駆けつけてくれた。このあと各村に持ち帰り洗って片づけて解散となった。ちなみに興浜班は5時に解散となった。新在家班は特に備品が多かったので片づけが遅くなったかもしれない。
 往復2150km、長い道のり御苦労さまでした。

  
 志津川高校を片付けたあと志津川小学校に立ち寄り最終の片づけを行い帰路についた。
 皆疲れていたが、テキパキと片付けゴミは持ち帰った。

 

 

 
5月1日の朝8時、北陸自動車道尼御前(あまごぜん)サービスエリア(石川県加賀市美岬町)で朝食を食べた。
サービスエリア内にあった、松尾芭蕉の奥の細道の石碑を見て妙に気になった事があった。
この石碑には、松尾芭蕉が元禄2年(1689)に奥の細道の途中に弟子の曽良と別れたとある。
この石碑を見た時に、確か元禄時代に大きな地震が関東地方であったはずだと思った。
帰ってから調べてみると、
元禄16年(1703)12月31日 元禄地震(元禄関東地震) - M 8.1、死者5,200人(20万人とも)。関東南部に津波。
松尾芭蕉は元禄7年に亡くなっており、この大きな地震に遭遇していなかった。
ただこの件を調べているうちにわかったのが、今回の三陸沖で過去に地震が多かった事である。
東北地方の地震だけに絞り込んだが、地震と津波が多かった事がわかる。
参考までに下に記しておく。

紀元前100年頃(2030-2190BP)仙台付近で巨大津波の被害[1]
9世紀
869年7月9日 貞観三陸地震 - M 8.3〜8.6、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人。多賀城損壊。津波堆積物調査から震源域が岩手県沖〜福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される[5]。
17世紀
1611年 9月27日 会津地震 - M 6.9、死者3,700人。
1611年12月 2日 慶長三陸地震 - M 8.1、死者約2,000〜5,000人。
1616年 9月 9日 宮城県沖地震 - M 7.0、仙台城が破損。
1678年10月 2日 宮城県北部沖で地震 - M 7.5、死者1人、東北地方の広範囲で被害。
18世紀
1717年 5月13日 宮城県沖で地震 - M 7.5、陸前、陸中で津波や液状化により被害。
1731年10月 7日 宮城県南部で地震 - M 6.5、死者数名、家屋が倒壊。
1793年 2月17日 三陸沖で地震(連動型宮城県沖地震) - M 8.0〜8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
19世紀
1804年 7月10日 象潟地震 - M 7.1、死者500〜550人。象潟で2mの地盤隆起と3〜4mの津波。
1835年 7月20日 仙台地震 - M 7、死者多数。仙台城損壊、津波あり。
1858年 7月 8日 東北地方太平洋側で地震。M 7.0 - 7.5。
1861年10月21日 宮城県沖地震 - M 7.4、津波、家屋倒壊、死者あり。
1894年10月22日 庄内地震 - M 7.0、死者726人。
1896年 6月15日 明治三陸地震 - M 8.2〜8.5、死者・行方不明者2万1,959人。
1896年 8月31日 陸羽地震 - M 7.2、死者209人
1897年 2月20日 宮城県沖地震 - M 7.4、地割れや液状化、家屋に被害。
1897年 8月 5日 三陸沖で地震 - M 7.7、宮城県や岩手県で津波により浸水被害。
1898年 4月23日 宮城県沖で地震 - M 7.2、北海道から近畿にかけて有感、岩手県と宮城県の県境付近で被害。
1900年 5月12日 宮城県北部で地震 - M 7.0、死傷者17人、家屋などに被害。
20世紀
1901年 8月 9日 8月10日 青森県東方沖で地震 - M 7.2・7.4、死者18人。
1902年 1月30日 青森県東部で地震 - M 7.0、死者1人。
1914年 3月15日 秋田仙北地震 - M 7.1、死者94人。
1915年11月 1日 宮城県沖で地震 - M 7.5、岩手県や宮城県の沿岸に小津波。
1923年 9月 1日 大正関東地震(関東大震災) - M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人(日本災害史上最悪)。
1933年 3月 3日 昭和三陸地震 - M 8.1、大津波発生、死者・行方不明者3,064人。
1936年11月 3日 宮城県沖地震 - M 7.4、小被害(ほぼ同規模の1978年宮城県沖地震と比較すると、死者皆無など遥かに小規模の被害)、小津波あり。
1937年 7月27日 宮城県沖で地震 - M 7.1。
1943年 6月13日 青森県東方沖で地震 - M 7.1。
1952年 3月 4日 十勝沖地震 - M 8.2、死者・行方不明者33人。北海道から東北に津波。
1958年11月 7日 択捉島付近で地震、 M 8.1、太平洋岸各地に津波。
1960年 5月23日 チリ地震に伴う津波 - 日本国内での死者142人。
1962年 4月30日 宮城県北部地震 - M 6.5、死者3人。
1978年 6月12日 宮城県沖地震 - M 7.4、宮城県などで最大震度 5、死者28人、津波あり。
1981年 1月19日 三陸沖で地震 - M 7.0、最大震度 4。
1983年 5月26日 日本海中部地震 - M 7.7、秋田県で最大震度 5、死者104人。
1994年12月28日 三陸はるか沖地震 - M 7.6(旧M 7.5)、青森県で最大震度 6、死者3人。
1995年 1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - M 7.3(旧M 7.2)、Mw 6.9、兵庫県南部で最大震度 7、死者・行方不明者6,437人。当初は最大震度6だったが、実地検分により7に修正された。
1998年 9月 3日 岩手県内陸北部地震 - M 6.2(旧M 6.1)、最大震度 6弱。
21世紀
2003年 5月26日 三陸南地震(宮城県北部沖地震、東北地震) - 本震は M 7.0、岩手県・宮城県で最大震度 6弱。太平洋プレート内の地震。
2003年 7月26日 宮城県北部地震 - 本震は M 6.4、宮城県北部で最大震度 6強(このほかにも、前震と余震でそれぞれ1回ずつ震度6弱を記録)。
2005年 8月16日 宮城県南部地震 - M 7.2、宮城県で最大震度 6弱。宮城県沖地震とは別の地震。
2005年11月15日 三陸沖で地震 - M 7.1、北海道から関東にかけて最大震度 3。大船渡市で最大50cmの津波観測。
2008年 6月14日 岩手・宮城内陸地震 - M 7.2、岩手県・宮城県で最大震度 6強。山崩れや地滑りが多発。死者・行方不明者23人。一関西で観測された4,022ガルがギネス世界記録に認定[11]。
2008年 7月24日 岩手県沿岸北部で地震 - M 6.8、岩手県九戸郡野田村などで最大震度6弱。震源の深さ108km。なお、岩手・宮城内陸地震との関連性は薄いとされている。
2011年 3月 9日 三陸沖で地震 - M 7.3。宮城県登米市、美里町、栗原市で最大震度 5弱。最大60cmの津波を観測。東北地方太平洋沖地震の前震とみられる。
2011年 3月11日 14時46分頃 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災) - Mw 9.0(M 8.4、日本の地震観測史上最大)。宮城県栗原市で最大震度 7。その他の東北・関東地方の7県で震度6弱以上を観測。死者・行方不明者2万人以上。戦後最悪の震災。北海道から関東地方にかけて太平洋沿岸部への大津波で甚大な被害。福島第一原子力発電所事故を招く。3月11日以降の数日間に震源域から離れた場所で発生した地震も、誘発させた可能性が指摘されている[12]。
               同日15時8分頃 岩手県沖で地震 - M 7.4。青森県、岩手県で最大震度 5弱。東北地方太平洋沖地震の余震。
               同日15時15分頃 茨城県沖で地震 - Mw 7.7(M 7.4)[13]。茨城県鉾田市で最大震度 6強。東北地方太平洋沖地震の余震。
               同日15時25分頃 三陸沖で地震 - M 7.5。北海道、東北地方、関東地方の広い範囲で最大震度 4。東北地方太平洋沖地震の余震。
2011年 4月 7日 宮城県沖で地震 - M 7.1。宮城県栗原市、仙台市宮城野区で最大震度 6強。死者4人。東北地方太平洋沖地震の余震。  『Wikipedia』より

一日も早い復興を願うと共に、自分たちに何ができるかを考え実行していく事が大事ではないだろうか。  終わり


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3 コメント

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本当にお疲れ様でした (みー@)
2011-05-15 22:47:28
皆さんの熱い思いが、東北の方々の心にしっかりと伝わったことがよくわかりました。

まだまだ復興には程遠い現地の様子もよくわかりました。
しっかりと情報を収集して、できる限り応援をしていきたいと思いますね。
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お疲れ様でした (エイトマン)
2011-05-16 10:11:35
「映像でも大変さ・凄さは感じていたけど、実際、目にすると…言葉にならなかった」
と、主人も帰ってきて話していました。
話を聞いていて、何日も前からの準備、長時間のバス移動など、疲れた事ばかりじゃなく、向こうで逆に元気をもらったり、自衛隊の方との交流やメンバー同士で笑顔でお手伝いが出来たんだな…そう思いました。
復興には、まだまだ時間はかかりますが
神戸のように一歩一歩…
頑張ろう!!日本!!
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頑張ろう (興ちゃん)
2011-05-16 20:35:10
これからは、被災された方たちに自分は何ができるのかを考えながら生きていかないといけません。
支援する為にも毎日の生活を頑張らないといけません。
阪神大震災のおりの炊き出し支援の記録は当時の自治会新聞の3行でしたので、記録を残す意味で記事にしてみました。
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