日音協機関紙に、今回の沖縄行動の参加者の感想がのっています。その中から、秋田県支部・佐藤正和さんの感想を紹介します。
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沖縄行動に参加した。5月15日、秋田県横手市から夜行バス23時40分に乗り込む。替えのパンツを忘れてコンビニで購入するが適サイズ外のMとLLだったというあわてぶり。 5月16日14時、雲で視界の効かない沖縄・那覇空港に着陸。梅雨入りしている。使い古されている表現だが私にはやはり哀しい沖縄の魂が流す涙としか思えない。 20年近く前に音楽サークルの取り組みの中で「りゅう子の白い旗」という儀間比呂志作版画絵本と「さとうきび畑」寺島尚彦作詞作曲という歌で構成した簡単な作品をつくるところから沖縄に関心を持ち始めた。 96年に普天間基地の整理・縮小の県民投票があった年9月、その空気を吸いに一人で沖縄に来た。そしてはたらくものの音楽祭の沖縄開催時。今回は3回目の訪沖となる。
今回の参加の動機としては、小山市祭典に於ける宮城こういちさんの「フェンスの中の沖縄」を直接聞いた事によるものが大きい。 行動参加に当たって、サウンドデモをするからには楽器持参、暗譜でなければと構えた。が、ズルズルとしてその準備が出来ずじまい。日程が迫る、で決心が鈍る。では来年?と思い直して、今回は歌う事に専念し、歩く事で沖縄の心を身体に刻み込もうと決めた。 平和行進。荷は手提げバック一つで傘も雨合羽の準備も無い。17日は午前中、那覇市役所より南コース(9・8㌔)を歩く。帽子と薄地のウインドブレーカーで凌ぐ。
18日は沖縄市より7・4㌔を西コース。午前中をサウンドデモ。「アンプマン」と化す。音楽と運動そのもの。 送り出し演奏は3日間行いました。西コースと東コースの北中城村、いづれも役所前広場。デモ隊の顔ぶれは変わり新鮮。反応も微妙に違う。実は小さなタンバリンを準備してきたのだが「佐藤には叩かせない方がイイ」と取り上げられ、取り上げた人からも音が途絶えたので、「どうしたの?」と聞いたら「うるさいと言われた」と。
本格的ドラムがいい効果。それにギター・ベース・アコーディオン。出発のタイミングにピッタリ合わせて演奏開始。曇り空を破るようで、気持ちがいい。 沖音協と交流を兼ねたファイナルステージ(宮城こういちさんのところ)でのミニコンサート。みなさんのていねいな声の出し方、楽しげな演奏に関心。私なぞはほうりっぱなしでぞんざいな自分の発した音に情けなさを感じた次第。
残念だったのは集中するべく県民大会での日音協企画演奏に参加出来なかったこと。緊張感のある練習には加われてよかったのですが。 最後になりますが、準備をされた日音協事務局と沖音協の皆さん、そして一緒に参加したみなさん。そしてそして、宮城こういちさんに、このような機会を与えていただいて感謝しています。 沖縄からの帰り〝祭りの後の・・・〟を感じました。 笑われそうですが、来年は準備万端で、参加します。
(秋田県支部・佐藤正和)
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