奥田中バスケ部

OKUDA JR BASKETBALL CLUB

塁爆弾発言の記事に思う。

2024-11-19 09:49:13 | スタッフルーム
 塁の言葉が、日本のバスケット界を揺るがしています。
 日本バスケットボール協会が歩んできた、いばらの道を考えれば、最近は強化や普及が順調に進んでいるかのように見えますが、裏ではこんなこともあるのでしょう。協会の考えにまともに意見などいえるものなどいないと思いますが、言ったとしてもまともに扱われるものではないと思います。正しいかどうか、真実かどうかは別にして批判覚悟で物申すことができる人物が出てきたということでは、ないでしょうか。
 過去には、昔のバスケット界のレジェンドが達が集まり、協会運営に意を唱え、別に何とか連盟みたいな組織があり、対立する時代もありました。選手達が、わがチームか、代表チームかと、選択に悩む時代もありました。
 プロ化について、団体が真っ二つに分かれたこともありました。代表監督が大学バスケ界が体たらくを指摘して問題になったこともありました。高校バスケ界で起きた、不幸な出来事で、スポーツ界全体の指導の在り方も問われたのも事実です。登録費問題で中体連と協会が対立したこともありました。ミニバスケも勝利至上主義の脱却ということで、移籍の問題や、日本一を決めない不思議な全国大会に変化してきています。
 そして、地上波でバスケの試合を観れるというとんでもない時代になってきています。
 いろんな問題それはあるでしょう。それを改善していくのが、リーダーであり、組織であろうと思います。
 指導を始めたころは、バスケで飯が食えるか、バスケだけやっていていいのかと指導してきました。塁が中学生の頃は、一つのことでも徹底してやっていれば、道は開ける、自分を輝かせてくれるものは何か?「さかなクン」をめざせ。と言った時期もあります。
 ごく最近は、好き勝手にバスケを利用するなと指導しています。
 塁からはたくさんのことを学ばせてもらっています。少しでも長く本場のバスケ界の中に居続けていることを切に願う次第です。
 けがに充分気をつけてな。がんばれ、塁。

卒業生たちの励ましに感謝

2024-11-03 00:44:53 | スタッフルーム
 指導方針を変えないのなら、子供を辞めさせるとの保護者の言葉に、そろそろ潮時かなぁと思っていた時、20年前に卒業していったⅠ田君が、お姉さんのお子さんを連れて、ひょっこり見学に来られました。
 彼は、高校1年の時、骨肉腫という命に係わる大変な病気がみつかり、そんな病気と闘い、今は完治し、小学校の先生をしています。
 とにかくバスケがしたい。バスケの仲間の励まし、そして、中学校バスケの厳しさに耐えたことを支えに、頑張ると当時お見舞いに行った時に語ってくれました。今、いろいろと辛いのよ、と言うと、この子のためにも長く続けてくださいと励まされてしまいました。
 体育館の入り口の影から、練習を見ている親子。10年前に卒業していったKNちゃんとお母さん。どうしてるのと尋ねると、会社を辞めたとのこと。上司のパワハラが原因というので、中学校の時に方が、ひどかったんじゃないかと聞くと、コーチには愛があったと生意気なことを言っていました。体育館でのコーチの言葉に元気をもらいに来ましたとのことでした。
 妻に、もうそろそろかなぁというと、毎日、家にいるのぉ。お願いだから夜9時前には帰ってこないでと言われてしまいました。
 まあそんなことで、今まで通り、明日も頑張ろう。