全中を終えて、スタッフで反省会を行ないました。その中で、論となったのが、ボールの空気圧と審判の笛。N先生が、圧力計を審判に提示し、空気圧を図ることを要求してから流れがややこしくなった。余計なことはしなくていいと説得するが、プロは絶対にこだわる、極めたものはそんなはずはないと引き下がらない。この5ヶ月間、必死にボールの管理、施設の管理をしてきたという自負の表れとねぎらい、同じ条件だからいいじゃないかと諭すが、それでも納得しない。
そんなやり取りの中、急に昔の思い出がよみがえり、元気だった父との思い出で胸が熱くなりました。
バスケット指導に関わる前バブル期の頃だろうか。父から任された仕事を経験豊かな職人達と喧々諤々と、やり取りをしているのを、いつも父は微笑んで見てくれていました。
「こんな下地で壁が塗れるか。」と出戻ってくる職人。「こんな道具で仕事ができるか。」と、若造の自分を困らせる職人達。
職人をうまく使えないと苦しんでいる私に父は、金沢の大手の左官屋さんの1番番頭さんの下で1週間働くことを命じます。
山代温泉にある磯崎新設計の雪の科学館という現場でした。番頭さんから、「息子、この壁の下塗りをしておいて。」 「仕上げは花咲団がやる。」花咲団とは、和歌山のホテル川久を手がけた超有名な職人集団ということは、わかっていましたが、自分がそんな人たちと一緒に仕事をしていいものなのかとおどおどしながら、壁を塗っていました。
3日が過ぎ「花咲団」と呼ばれる職人が登場しました。ぼくの塗った壁をしばらく眺めている職人中の職人。いつ、「塗り直してください。」と言われるのか、覚悟を決めている自分。
「すいません。ステンレス鏝貸してくれませんか。」 なぁに、自分の道具を持ってきていないのか、嘘だろう。心の中で叫んでいました。3日間かけた下塗りに何一つクレームつけることなく、昼に来て、次の日の昼まで仕上げて帰っていきました。「あとの掃除よろしくおねがいします。」「鏝ありがとうございました。」
いったいあの人はなんなんだ。片付けをちゃんとするのが、職人と思っていた根幹が覆ってしまいました。
「この壁は、棚の後ろになるから塗ってみな。」そういって番頭さんが材料を手渡してくれました。同じ材料。同じ道具。そして、同じ下地なのに思うように仕上がらない。困っている自分をみて、にっこり、「苦にするな。うちの一番腕のいい職人も仕上げれなかったから。」
ボールや施設。親の応援やミニバス等の環境。子供の身長や能力。われわれ指導者と呼ばれる職人達は、みんな、そんなことを理由に勘違いしていないだろうか。
あらためて、気づかせてもらった良い反省会でした。