ぐうたら老人のカオスな放課後

第一線をリタイヤ。世の中を斜めから覗く日々。

禁煙ガム異聞

2015年12月11日 | 日記
完全禁煙を始めて1年少々。
何とか禁煙は出来ているが……。

禁煙ガムとは縁が切れない。
さすがに、一日に何個も食すわけではないが、1個は囓ってしまう。
何とかやめようとは思うのだが。

放射線治療の影響で唾液が自然に出ることがほとんどなくなってしまった。
そのため、口内を潤すためにガムに手を出すのだが。

色々なガムを試してみたが、不自然に甘くて……。
今、チャレンジしているのが「歯みがきガム」

「歯みがきガム」はロッテとクラシエフーズの2社が出しているが
ロッテは妙に甘ったるくてダメ。
クラシエフーズ社のを愛用してはいるが、やっぱり物足りない。

禁煙初期に囓った禁煙ガムの甘くないガムの味が最高に思える。
囓っていると出てくる独特の味が最高。

禁煙ガムは長期にわたって食すなとあるが……。
一日に1個はついつい口に放り込んでしまう。
あの独特の味が忘れられない。歯みがきガムもそれなりによいのだが。

禁煙ガムと手を切れない人も多分いるのではないだろうか。
良くないことは分かっていても。

ニコチンの入っていない禁煙ガムが世に出ることを切望している。



VSガン 顛末記 

2014年08月06日 | 日記
2月上旬 とある朝。
 起きた早々、喉に違和感が、そして声が変調。 変声期? まさか。

気になるので、近所の耳鼻咽喉科へ。とりあえず薬をもらうも変化なし。

紹介状をもらい大学病院へ。

2泊3日の検査入院の結果は……喉頭ガン。 ガンー。

ペットCTなどの検査を経て最終診断。
 レベル1の喉頭ガンで、放射線治療を。煙草は確実に禁煙をするようにとの厳しい通告。

 数十年に渡る喫煙とも、インターバル無しでお別れ。

まずは、歯科で歯の状態を確認。照射中のトラブルを防ぐためとか。
歯の状態は最悪。で、3カ所を即抜歯。心の準備もそこそこに即日抜歯。

放射線治療の開始。9週35回にわたる照射とのこと。
今回は投薬はなく、放射線治療だけとのこと。

放射線照射の明確な副作用としては、味覚障害・唾液減少・口内炎などとか。
特に口内炎はひどい場合は食事摂取に大きな障害が発生、その時は入院することに。

治療が始まってしばらくは何らの副作用もでない。
煙草はさすがに吸おうとの気分には全くならない。時折ニコチンガムを囓るにとどまる。

20回を過ぎた頃から、味覚障害が始まり、唾液の分泌が極端に変化。
味覚障害は、味が分からない、物によっては食感が狂い始める。
唾液の分泌は、口が渇き、異常に粘性の強い痰のようなものがでる。

予定の照射回数が終わった時にはさすがにホッと。
恐れていた口内炎は出ず良かったが、ただ喉の皮膚は赤く爛れて首を回すのが辛い。


治療が終わって3ヶ月ほど。
皮膚の爛れもほぼ完治。味覚障害も9割方元に。ただ唾液に関してはあまり戻らない。
その程度で済んだことに感謝すべきだろう。
煙草もニコチンガムと仲良くなっているが、吸うことはほぼ無く、禁煙に成功か。

ただ、このところ喉が狭くなった感じで呼吸が苦しく感じる。
事後診察では「照射のため、内部の爛れが残っているから」との話。信じるしかない。


現在二人に一人が癌になる時代とか。癌と診断されたときはさすがに……。
しかし、医学の進歩を信じ前向きに治療を受ける気持ちを持てたことが良かった。

後は再発と転移がないことを祈るだけ。









原発問題を考える

2013年10月23日 | 日記

暴論を一つ

 福島の東電第一原発の処理がままならないなか、原発の再稼働や新規建設を唱える政治家が出始めたとか。

 福島の汚染物質の保管場所が決まらず迷走している。また原子炉の廃棄物を何処に保管するかさえ全く目途がたっていない。

 そんな現状のなか、廃棄物の処理には全く言及せずに、ただ経済活動の観点から再稼働や新規建設を唱えているのにはいささか疑問が生じる。

 いっそうのこと彼らの選挙区に廃棄場所を作ったらどうかなと思ってしまう。もし彼らが自分の選挙区に廃棄場所を作るから再稼働や新規建設をしようというのならば、尊敬できる立派な政治家だろう。

 再稼働だの新規建設だのと言いながら負の面にほっかぶりするようなことはして欲しくないと思うのだが。

 暴論かも。

8月15日を前に

2013年08月12日 | 日記

まもなく15日。

あれから70年近くの時が流れた。

兎に角も復興し経済大国と言われるようになった。

でも、復興・成長はしたが、何かを置き忘れてきたような感じが。


「終戦記念日」本当に終戦? 終戦て言うべきだったのだろうか。

言葉のまやかしを感じるのは自分だけか。



政治家の靖国神社参拝がまたぞろ問題になる季節。

この問題は永遠に平行線をたどるのであろう。

日本はどんな人でも、たとえ悪人でも、死ねば皆『仏』に。

『仏』は祀りあがめる対象。仏と神は異なるが、日本人の精神構造上は…。

海外の人にとっては理解不能なんではなかろうか。



昭和30年代に小中学校を送った人間にとって、

あの時代が貧しい日々だったが自由で希望と光に満ちあふれ

ていたように思うのは老人の僻事か?




フランス絵画展

2013年06月24日 | 日記
名古屋で開催されていたフランス絵画300年展が幕を下ろした。

鑑賞する機会を得て楽しむことができた。素晴らしい名作を鑑賞することができ豊かな時間を過ごすことができた。

ところで、マスコミで宣伝されるような展覧会に行っていつも感じることが二つある。

その一つが入口から中程までは作品の前に人が滞留し混雑でゆっくり見ることができないこと。下手をすると人の頭を見るだけになってしまうが、中程を過ぎる辺りから結構まばらになり、ゆったりと鑑賞することができる。

二つ目は、多くの人が作品の前だけで鑑賞して行くことである。絵のタッチなどを見る為には前で見る必要があろうが……。やはり少し作品から離れて全体を鑑賞することが肝心なのではないだろうか。

絵に関しては素晴らしい作品ばかりであったが、その中でもしばし足を止めて見いってしまった作品が幾つかあった。人々が余り関心を持たないようであったが。



山陰の旅

2013年05月31日 | 日記
今回コースは逆にすべきだったと反省。

道の駅キララ多岐を早朝に出発し、6時には出雲大社に到着。さすがに参拝者も少なく心静かに境内を散策することができたのは良かったのだが……。

早過ぎて何処もクローズ状態。二時間以上をどう過ごすか考えた挙げ句に松江を飛ばして、まずは白兎神社に行くことに。

R9と山陰道を利用して走る。何とか午前中に到着。
  ここの神社の祭神は全国的珍しい動物なんだそうな。そう言えばどこの神社の祭神も 皆人間の姿をしている。

参拝後、再び出雲へとって返して、島根県立歴史博物館へ。
どうしても見てみたかったので…。


明日は八重垣神社と奥出雲たたらと刀剣館を訪ねる予定。

奥出雲たたらと刀剣館は当初の目的なので松江に戻らざる得なかった訳である。

山陰から入って山陽にと言うコースにすべきだった。結局今日も300キロを走ってしまい慚愧にたえない。

明日はハーンの旧居、八重垣神社そして奥出雲たたらと刀剣館と巡って帰途につく予定。やはり相当の距離を走ることになるのだろうな!

何虫か

2013年04月26日 | 日記
近所を散歩中に、ふと見上げた桜の幹に見慣れぬ虫が。
初めて見る虫。
さて、何という虫か。足の数から見て蜘蛛の仲間か。いやそれとも……。

昨日の強風でどこからか飛ばされて来たのか。
兎に角、初見の虫。気になって写真に。ただマクロを持ってないので……。


     

 誰か知っていたら教えて欲しいものです。

五輪異聞

2012年07月25日 | 日記
ロンドンオリンピック開催まであと2日。
日本選手の活躍を楽しみにしています。

ところで、マスコミはいつものように大騒ぎ。

オリンピックと言えば子供の頃に見た記録映画を思い出す。
メルボルン・ローマそして東京大会の記録映画は印象に残っている。

その中で、感銘を受けたのはローマ大会のマラソン。
まったくの無名の選手だったエチオピアの「アベベ」。
彼はローマの街を裸足で走り見事に金メダルを。
その映像は鮮烈なものだった。裸足で夜のローマの石畳を黙々と走る姿は……。
 (もっとも彼は次の東京大会では某メーカー提供のシューズを履いていたが)
東京大会での柔道で日本が敗れたのも鮮烈な思いだった。


ところで、オリンピックと言えば昔はオリンピック開催が近づくと必ず、近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵の話題が取り上げられたものだが、このところさっぱり彼の名を見なくなってしまったような気がするのだが。彼の近代オリンピックに対する理念からすれば仕方がないことなのかなあ。
それにしても、近年のオリンピックは商業化が酷すぎるのでは。クーベルタンが見たら何と言うだろうか。

一昔前は「アマチュア憲章」がオリンピックの絶対基本で純粋なアマチュアしか参加できなかったような気がしたが。ましてやCMに出るなんて絶対に許されなかったような気がするのだが。

時代が時代だから仕方がないのかなとも思うのだが。


なにはともあれ、活躍を楽しみにしています。
選手のインタビューを聞いて頑張って欲しいと思うが、唯一気になった言葉が「国民に感動を与えたい」。この言葉に違和感を感じてしまった。彼が若いからと言えばそれまでだが……。

しばらくはマスコミは五輪一色でしょうね。ちょっとウンザリ。



ぶらり散歩 回向院

2012年06月10日 | 日記
 過日、江戸は両国の回向院に。

 回向院には江戸の戯作者「山東京伝」のお墓が在るとのこと。
 少々江戸期の戯作に親しんだ者として一度はお参りをと考えて。

      回向院 思っていたより小さい


 境内を探し回ってやっと発見。
 山東京伝(岩瀬京伝)では見つからず。彼の本名「岩瀬醒」で探さねばと途中で気がついて15分ほど探し回ったところで一般の墓石群とは離れた場所でやっと発見。

    

 彼の隣には彼の弟で、やはり戯作者であった「岩瀬京山」のお墓が。弟は文学史上兄の蔭に隠れて余り名は知られていないが。



 彼らのお墓の前に「橘千蔭」と浮き彫りにされたお墓となにやら由来が記された碑が。碑の記載内容は残念ながら読めず。

     真ん中の小さな墓石が彼のお墓。

 橘千蔭「加藤千蔭」が一般的。江戸後期の国学者で歌人で書家。賀茂真淵に師事し、「万葉集略解」が代表論述。 彼のお墓が在るとは知らなかった。合掌。


 回向院で一般的に有名なのは「鼠小僧次郎吉」のお墓。
 削り取ることはしませんでした。
    

 境内に「犬猫の慰霊碑」。沢山の愛犬愛猫の卒塔婆が。
       


  回向院の近くに吉良邸跡が。あの「忠臣蔵」の討ち入りの屋敷跡。いまはそのホンの一部が残されているだけ。ここであの事件が起こったかと思うと…。
 しかし、「忠臣蔵」では吉良上野介は悪く描かれているが、実像はどうだったのか。吉良家の領国では名君として今でも慕われているとか。事実と虚構を見極める力が、歴史を学ぶ上では必要なのではないのだろうか、と思いつつしばし散策。
       

  今回は小文学散歩を。鶴屋南北のお墓にも行って見たかったが、それは次回に。

  

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桜 花宴の後は

2012年05月21日 | 日記

  美しい花が終わって若葉の季節

  近所の桜並木を散歩。

  花を楽しんだ次は彼らが桜を楽しむ季節。

  今年も彼らが桜を楽しんでいました。

  (襟元に落ちて来るときも)
  
  人間にとっては少々気味の悪い虫たちの桜の季節。