ぐうたら老人のカオスな放課後

第一線をリタイヤ。世の中を斜めから覗く日々。

春、湖国へ

2011年04月28日 | 旅行
  ゆく春を近江の人と惜しみけり
確か『去来抄』に載っている一句。高校時代に習ったことを思い出し訪ねてみたくなり春の一日湖国までドライブ。今回もまだ寒いので車中泊はお預け。


琵琶湖大橋を渡っていると前方の山の山頂が白い。「何だろう」と不思議に思い尋ねたところ「北比良の暮雪ですよ。近江八景の一つで、今の季節にしか見られない景色ですよ」とのこと。写真を一枚だけ撮って見ましたが、ものの見事にピンぼけ。数枚撮るんだったと後悔。
 ピンぼけでちょっと恥ずかしいが。


   『浮御堂』  
 着いたときに団体様と一緒に。待つことしばし、靜になってから境内を散策。春のうららかな日射しと湖面を渡る春風にまさしく「ゆく春を惜しむ」心地に。
    狙って見ましたが失敗。

 30数年前に来たときに比べ綺麗に整備されていました。そりゃそうだよねと近江の人が言うでしょう、多分。
近所のお菓子屋で名物の落雁を買い求めようと行ったら、残念定休日でした。


   『三井寺』 
 三井寺か近江神宮か迷ったが、近江神宮の漏刻は次回に見るとして三井寺へ。
境内は予想通り満開の桜、しばし春に浸りながら境内を散策。
     

 三枚目の桜はコントラストを狙って見たのだが、果たして…。

平日と言うこともあって、それほどの人出でもなくのんびりと散策を。金堂の脇にある
閼伽井屋の井戸は天智・天武・持統天皇の産湯の井戸とか。耳を澄ますと湧き出る泉の音が。天智天皇の時代から続く音かと思うと悠久の空間を感じさせられる。ただ隣に居た老人が「私が子供の頃はもっと大きな音がしていたのですよ」と。あと数百年で涸れてしまうのだろうか。


  『義仲寺』
 ナビに義仲寺をセットし出発。細い道を進み「義仲寺」到着。地図を見ると通ってきた道は旧東海道とか。
 写真をアップしたいが、大きすぎて受け付けてくれない。なぜ・なぜ。同じカメラで同じ様に撮ったのに。研究して後ほどアップを。

   木曽殿と背中あわせの寒さかな 

残念ながら背中あわせではないけれど、義仲と芭蕉の墓がひっそりと並んである。
 二人それぞれの生涯とはかけ離れた簡素で小さな墓であるが、かえってそれが彼らの歴史に刻んだ足跡を偲ばせるように思われるのだったが。
 木曽殿の墓石の傍には、更に一回り小さな碑が。「巴御前」の碑が寄り添うように建っている。平家物語に描かれた勇壮な面影はなく、義仲を慕い続けた薄幸の女性を思わせるたたずまいであった。

 小さな境内の奥に日本浪漫派の巨人「保田與重郎」の墓を発見。「え、なんでこんなところに。彼は奈良の櫻井の人で、戦後その地で隠棲していたはずなのに。」と疑問が。受付の方にお聞きし、パンフレットを頂いてこの寺と保田氏の関係の疑問が氷解。
 戦後隠棲していたときに彼は荒れ果てた義仲寺の復興に力を注いだとのこと。保田氏は義仲の生涯に大きな浪漫を見たのだろうか。保田氏は戦後厳しく批判されたが、文学史上大きな足跡を残した人に違いはないはず。文学を学んだ者としてしばしお参りを。


大震災に寄せて

2011年04月20日 | 日記
東日本大地震から一月半が過ぎようとしている。
東北で生まれ育った自分にとって、この震災は衝撃的な出来事であった。
自分が育った地方は大きな被害がなかったとはいえ、自分を育んでくれた東北の大地の惨状は言語を絶する思いであり、しばらくはその思いを言葉として現すことが出来なかった。

何はともあれ、この大災害で被害を受けた皆様に心中よりお見舞いを申し上げます。
福島の人々は自分たちに直接利害のない施設のおかげで、避難などを余儀なくされることに言いようのない憤りを感じておられるのではないでしょうか。

復旧・復興まで長い歳月がかかるであろうと言われておりますが、東北人特有の強さで明日に向かって立ち上がることを祈念します。
東北は冷害などの自然災害との闘い、明治政府の薩長閥からの冷遇、他地域の人からの冷笑など様々な苦しみに負けることなく今日を築き上げてきた力強さを秘めています。その力を東北復興へ発揮されることを強く祈念するものであります。


震災報道からそれぞれのマスコミや政治家の本質や本音、専門家の専門的知識の深浅と科学に対する態度、有名人無名人の思い、行動様式、本音など様々なものが見えた気がしますが。人間は非常時にその本質が表出するという古人の言葉を再確認しました。