今日の福音箇所はルカ15:11-32、放蕩息子の話(まんまですな)。
2007年の記事→放蕩息子の主日
早課でワビロン(136聖詠、詩篇137)歌うんだけど、これ放蕩息子の帰還とリンクしてたんだなあ。
おなじみ『大斎の意味』によれば、
“この日と次の二つの日曜日の早課には、喜びに満ちた荘厳な多油祭(ポリエレイ)の直後に、嘆きに満ちた聖詠百三十六の聖句が付加される。「我等、かつて、ワビロンの川辺に座し、シオンを思うて泣けり…」。バビロン捕囚にあったイスラエルの民が歌ったこの捕囚の聖詠は、放蕩息子の主日に特別にあてられている。ここで我々は、現在の自分自身の罪による捕囚(放蕩)を心に訴えかけ、家に帰る決心をする。”
ふむ。深い。
祈祷文てほんと練り上げてあるよね。
前はこの話読むと自分=放蕩息子と思っていたけど、最近はどうも兄貴が気になる。
ええーずるい、とか思うよね、やっぱ(自分だけだったりして。恥)。
そりゃあ、それじゃイヤイヤ家継いでたのかってことにはなるけど。
素直に喜べる人になりたいっす…
ところで大変だ。
さっき思い出したよ…
28日がケコン記念日だったことorz
ダンナ札幌行っていねーし。
いや別に何するとかってんじゃないけど「今日結婚記念日だね」「だね」ぐらい言いたかったああああ
2007年の記事→放蕩息子の主日
早課でワビロン(136聖詠、詩篇137)歌うんだけど、これ放蕩息子の帰還とリンクしてたんだなあ。
おなじみ『大斎の意味』によれば、
“この日と次の二つの日曜日の早課には、喜びに満ちた荘厳な多油祭(ポリエレイ)の直後に、嘆きに満ちた聖詠百三十六の聖句が付加される。「我等、かつて、ワビロンの川辺に座し、シオンを思うて泣けり…」。バビロン捕囚にあったイスラエルの民が歌ったこの捕囚の聖詠は、放蕩息子の主日に特別にあてられている。ここで我々は、現在の自分自身の罪による捕囚(放蕩)を心に訴えかけ、家に帰る決心をする。”
ふむ。深い。
祈祷文てほんと練り上げてあるよね。
前はこの話読むと自分=放蕩息子と思っていたけど、最近はどうも兄貴が気になる。
ええーずるい、とか思うよね、やっぱ(自分だけだったりして。恥)。
そりゃあ、それじゃイヤイヤ家継いでたのかってことにはなるけど。
素直に喜べる人になりたいっす…
ところで大変だ。
さっき思い出したよ…
28日がケコン記念日だったことorz
ダンナ札幌行っていねーし。
いや別に何するとかってんじゃないけど「今日結婚記念日だね」「だね」ぐらい言いたかったああああ