『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

カミサマの話は難しい

2021年12月28日 | 考える日々
クリスマスからこっち、
「クリスマスの秘密」(ハンス=ウェルナー・シュレーダー)を
少しずつ読んでいます。

三位一体の神だの天使だの、悪だの、
いろいろと「あっちの世界」のワードが出てくるので、
抵抗感じる人もいるだろうな〜と思います。

私だって、10年前は「うわ、マジで天使とか言ってる?」
って感じだったのに、いつの間にか、抵抗なくなってる。
どころか、そういうのを仮定する事で、
「おお~、辻褄会うじゃん!」って感動すら覚えるんだよね…。

その中身を覚え書きしておこうと思って、
ふと立ち止まってしまいました。

カミサマ的な話って、いくら自分が感動したって、
言葉遣いの障壁がものすごく大きくて、
共通言語がなければ、わかちあいにくい。

たとえそれが家族であっても、
カミサマとか言い出されたら、
「へ??」ってなる。

そもそも、人のカミサマ話って、
わかろうという気になりにくい。
だって、
「借り物の宗教的教義とか聞かされてもな〜」
って思ってしまうから。
自分の言葉で話ができたらいいんだけど。

クラシック音楽の言葉使いが通じるなら
クラシック音楽の言葉で話せばいいし、
仏教徒の言葉遣いが通じるなら仏教の言葉で話せばいい。
数学でも、ITでも、教育でも、
相手との共通言語に載せて話せばいい。

一番いいのは「カミサマ」とか言わずに、
自分の普段の言葉で話すこと。
自分が何かを実感してるから感動したわけで、
それなら、自分の内面に起こったことを、
自分の体験として、普段通りに話せるはず。

…なんだけど、難しいわ。
そういうことを考えたい時じゃないと、
そういう話に抵抗がある、っていうのは、
それぞれに「時期」があるんだろうな。

ああーー、会話って、ほんとに、
聞く側とのコラボだよな〜と思う。

ワタシ、話を整理するのが下手だから、
何かの糸口をつかんで、
そーっとたぐり寄せながら話し始めたら、
その糸はするするとはほどけなくて、
あっちこっち行ったり来たりする。

相手はわかろうとしてくださるのに、
そんな人にすら、ちゃんと伝えられないなんて、
う〜〜〜む。

だからって、カミサマ的な話が宗教である以上、
誰でも体験する、物理を越えた精神的な事についてだし、
哲学であった場合は、再現性のある学問体系なんだから、
どっちにしろ、すべての人間に共通の智恵のはずで、
伝わらないわけがないんだけどな〜。

難しい!

話を聞くだけで伝わらないなら、
フォルメンしながら、なら伝わりやすいかも。
紙の上に、クレヨンを動かしている自分が見えてるから。
自分の中で自分を動かす、何かの働きも見えやすいから。

クリスマスの夜、
子どもに特別なプレゼントを渡したくなったり、
新しい年を迎えて、初詣に行ったりするワタシを
動かしているものは何なんでしょう? 
商業的な刺激に踊ってるだけじゃないよね?

っていう話なんだけど…。

余談ですが、「初詣」って変換したら、
「発毛で」って出てきてズッコケた。
きっと、それって、
「今日はこれにておしまい」の合図だ(^^)。

さ〜〜〜て。
お湯沸かしてこよ〜っと。



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