いきなり寒くなりましたが、
何年か前、コンビニで唐揚げを買ったら、
中がナマで、まだ赤かったのね。
んで、
めっちゃ謝られることを想定して、
面倒くさいのに変えてもらいに行ったら、
「規定の時間、ちゃんと揚げてます!」
って言われて、びっくりしたことがある。
きっと、反射的に身を守るために構えたんだと思うけど、
「マニュアルを守って作ってるのに、
それ以上のことを言うなら、アンタはクレーマーだ」
みたいに、鎧を着られてしまったので、
その対面の私は
「え? 食べられるのと変えてくれないの?」
って戸惑った。
いや~、ビックリした。
そのマニュアルは、本来、
料理をしたことがないアルバイト店員でも、
お客さんに一定の品質で、一定の味のものを、
安心して提供するために作られたもの。
そのマニュアルが、
普段は、店員さんが身を守るために使えるとしても、
それでお客さんに不都合があった場合、
マニュアルの方を疑いましょう。
または、マニュアルより自分の感覚を信じましょう。
まぁ、自分で料理しなきゃ、
見ただけで揚げ加減はわからんけど、
たとえば、中心の温度を測るとかさー。
って、いまだに覚えてるあたり、
めっちゃもやもやしてたんやな~。
食べ物に限らず、マニュアルって、
人の自由を奪うよね。
「標準的にはこんな感じでやってください。
一応決まってるけど、最終的には自分で考えてやってね」
というくらいが私にはちょうどいい。
制服が決まってても、
それで寒いなら暖かい恰好していいし、
(真冬のスカートって、ストッキングだけじゃ寒かった!)
9時に出社しろって決まってても、
迷子の子どもがいたら、交番に送り届けてから出社したい。
大学生なら、
自著や古いノートを読み上げるだけの授業を休んで、
好きなアーティストのライブに行ってもいいし、
友だちとサークル活動にいそしんでもいい。
それで単位を落とすのも、自分の選択だ。
考え方としては、
常に「自分がどうしたいのか」に立ち戻るべき。
温暖化ガス排出量にしても、交通ルールにしても、
決まりごとや法って、本来、
愛から出たものだったはずだから。
それ以外のものは、誰のためのきまりかを
考えてみてもおもしろいかもしれないね。
フォルメン 96/100
ひとつの形を描いて、順を追って姿を変えていく。
私だって、あなただって、変わっていく。
一度たどった道は、いつでも行き来できる。
※「何コレ?おもしろそー」という方は、
コチラをどうぞ。
私にとっては、
心を整えるヨガであり、瞑想の時間です。
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