『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

感情的になることを許してみる

2020年10月27日 | 考える日々
小学校の算数もできないほど、
合理的な知性が進化しなかったわりには、
理性的なワタクシ。
理性的? …というより感情的じゃない、か。

普段は、わりと落ち着いてて、
感情に振り回されることが少ない。

とは言え、
相手が怒っている時に落ち着いているのは難しい。
っていうか、そんな事、出来ない。
怒りをどう受け止めたらいいのか、いまだにわからない。

普段とは違う様子に驚きながら、
「私の何がこの人を怒らせてるの??
この怒りに乗せて、何が言いたいの?
わかんないよ、もっとわかりやすく言って~」って。

めっちゃ焦ってるのに、
落ち着いているように見えるらしい。
ちゃうねんちゃうねん、必死やねん!

投げつけられる言葉の嵐の中で、
自分のやっちまったらしいミスと、
感情的な攻撃をより分けて、
必死で攻撃の矢を抜きまくって、
ダメ出し部分だけを受け取れるようにガンバル

それが、私の防御方法みたいなんだけど、
いかんせん、経験値が低い…。

自分が怒ってる時に、相手が冷静でいたら、
そのこと自体がまた怒りの原因になることもあるらしく。
わから~~ん。

でも、まぁ、防衛本能のままに攻撃し返す、
という方向にはいかないのは、
性分、あるいは年の功。
…私が戦闘要員として役立たないことだけは確かだな。

「アタシみたいな、しがないジジイ、
やっつけた所でアンタの足しにゃならんですよ」
みたいな立ち位置かしら(^^;)。

相手の怒りの原因が、
私に問題がある場合ばかりじゃないことも学んだ。

一度ヤラレたら、
そこから立ち直るのに何年もかかるくせに、
ホント気の長いことで(^^;)。
でも、攻撃し返したいとは思わないんだよなぁ。

えーと、何がいいたいんだ?
そう。

「もうちょっと私も感情的になってみよう」ってこと。
外に向けて表現するかどうかは別として、
感情的になることを自分に許してみたら、
どうなるんだろ。何か変わるかな?

続きはまた明日。


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2 コメント

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そうですね・・・ (ella)
2020-10-27 04:51:38
感情的を喜怒哀楽に・・・
ってのはどうでしょう。

人はそれぞれに表現がありますから・・・
怒に怒でも敵対にならないことも。
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Unknown (オキツ)
2020-10-28 00:50:20
「怒に怒でも敵対にならないことがある」←コレ、考えたことなかったです! いや、でも言われてみれば、居合わせた事はあります。同じ目標に向かってる2人がヒートアップして上を目指している時。眩しかった。そういう時に「受け入れよう」と一歩引くのは不真面目ですね。あ~~。
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