日常を愛する。小さな幸せを大切にする。
私の好きなそういう暮らしが、もしかしたら、
時代にコントロールされていたのだったりして!
バブル後のメッセージとして、都合がよかったのではないか。
高度成長~バブル期までは「夢を持て」と言っていたのに。
…というようなことが、
中村文則さんの『迷宮』を読んだ後に浮かんだ。
浮かんだのか、印象に残ったのか、書いてあったのか?
一気読みしたから、定かではないけれど。
とにかく、等身大のていねいな暮らしについて、
そんな風に考えたことはなかった。
大量消費社会が気持ち悪かっただけなんだけど、
確かに、私の志向は時代に都合がいい。
踊ってる?
踊ってるにしても、それでも希望を持ったまま、
自分の日常を愛していこう、と思う程度に、
ぼけ~っ(もとい、ほわ~っ)と生きてきた。
最近「ゆるい」「あったかい」本ばっかり読んでたけど、
今日のチョイスはわりとハードな純文学。
そしたら、文学が私の能天気な思考回路を
かき乱してくれる。
読書好きの友人が、人生のピンチに見舞われて、
しばらく本が読めなくなったらしい。
そこからなんとか何年かを生きてきて、
ようやくまた本が読めるようになってきたのだ、と言っていた。
本の世界はバーチャルだけど、心乱されるもんね。
良くも悪くも文学の力。
文学は、あえて、かき乱してくれる。
図書館戦争じゃないけど、
そこだけは、もう言葉狩りしないで欲しい。
自分じゃフタをしている不適切なことを、
あえて思い出させてくれる、
作者が覚悟して誠実に差し出す言葉。
「適切」で「耳障りのいい」面だけで
自分が構成されているわけじゃない。
醜いこと、ズルいこと、どうしようもないこと、
病んだこと、卑屈なこと、計算高いこと…。
そんな魑魅魍魎が自分の中に封印されている事を
思い出させてくれる、文学というもの。
公序良俗に反する言葉があるのが当たり前。
「人間ってホント仕方ないなぁ」と
弱さを愛おしさに昇華させてあげられる程度の
ちょっとした見栄やズルやバカなら、
本なんて読まなくても大丈夫。
そうじゃない、もっと怖いところがある。
たまに本を読んで思い出し、
意識の光を当ててヨシヨシしてあげないと、
窒息した彼らが知らない間に増殖し、
腐敗して外に漏れ出してしまう。
本がそれを教えてくれるおかげで
「中にいるんでしょ、知ってるよ」と見止めてあげて、
「今、暴れたいわけじゃないのね?」って確認できる。
映像と違って、
頭の中でイメージを動かしながらページをめくるから、
やたらビビッドに自分の事と重なって読める。
これ以上は辛いと思ったらページを閉じることもできる。
立ち止まることも、読み返して言葉を確かめることもできる。
書かずにいられなかった人の実りに乗っかって。