『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

時には感情的になって、喜怒哀楽を豊かに味わう

2020年10月28日 | 考える日々
昨日、「感情的になることを許してみようかな」、
って考えてたら、
「感情的を喜怒哀楽にするのはどう?」
とコメントくださった方がいました。

感情的な事はワルイ事、
という思い込みから卒業する方がいいんじゃない?
って思っているので、
書きながらつらつら考えてみます。

感情的じゃないのをイイコトだと思いすぎて、
結果的に、喜怒哀楽も抑えてるのか?
だとしたら、そりゃマズイ。
なんか今、人生の傍観者みたいになってないか?
…って思ってたんです。

それで、
ちゃんと感情を受け取ろう、
喜怒哀楽…特に哀しいとか怒りとかも感じてみよう、
と思って、
そっち側の感情をそっと開けてみたんです。

そしたら、自分が役立たずで、バカで、
見栄張りで、いいかげんで…って、
鬱スパイラルに巻き込まれました…あーしんど。

しんどいけど、いつもは無視するその感情に、
もうちょっと付き合ってみた。
ら、ますます
「ホントに自分はダメ人間です」
「おとーさん、おかーさん、ゴメンなさい」
って感じになってきて、
「それをごまかすために、楽天的だったのかも?」
と人格の裏も表も全否定になってしまいました。

なんか、書いててバカすぎて笑える。
ゲラゲラボーレベルだな(^^;)。

ところが!

ダメ方向に触れ過ぎたとたん、
「いやいや、ちょっと待って!」って、
反対方向に働く力がグググッと作動しました。

「そこまで全部ダメって事もないでしょーよ」
「自己否定を、サボる言い訳にしないでね」
「できるかどーかわかんないけど、
ぐだぐだ言ってないで、アレやってみれば?」って、
いきなり新しいクラスを呼び掛けてしまったのです。

あらら~。
真ん中にいた時は、ふり幅も小さくて、
考えが行動にまで届かなかったけど、
ビビッドに感じてみたら、反対側にも大きく振れて、
具体的な行動に届いたわ。
まるでブランコみたい。

ってことはよ?
喜怒哀楽をビビッドに感じれば、
行動に移しやすくなるのかも!
ホント? そんな法則ある??

今の状態は、
「新しいクラス何しよっかな~」とドキドキしつつも、
「私なんかに何が提供できるのよ?」とウツウツしつつも、
「まぁ、やってみたらいいじゃん」とワクワクしつつ、
「いや、でも私いい加減やし、大丈夫か??」と、
なんの失敗もないのに、…どころか、始めてもないうちから、
無駄に自信を失って逃げ出したくなり。
…ってな感じです。何やねん、それ(^^;)。

てか、結構しんどいな、この状態。
喜怒哀楽に素直な人って、いつもこんな感じなの??

いつも熱くて、一所懸命なSちゃん。
見てる~?
Sちゃんがいろいろビビッドに感じてる時って、
こんな感じなの?
あんなに体当たりで喜怒哀楽を生きてたら、
そりゃ、しんどいでしょうよ。

なんか、いつもよりスゴく感じるわ。
Sちゃんも、まわりのみんなも。

怖がらずに、喜怒哀楽をたっぷり感じること、
それをふさわしく表現できるようになること、
私にとって、どっちも大きな課題だなぁ。

中1の時の日記にすでに
「どんなに一所懸命やってても、どこか1点冷めてる
100%になれない」って書いてたから、根は深いぞ~~。

初心者すぎて周りの人にご迷惑をおかけするかも。
う~ん、やっぱし怖がってるわ、私。
そっか、段階を踏めばいいのか。表現は後だ。
まずは、喜怒哀楽をビビッドに感じてみることから。
それなら人を巻き込まずにこっそりできる(^^)。

なんか、いいヒントもらっちゃった。
ありがとうございました!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿