あれこれやってみて、
教えるのとか導くのとか主張するのとか、
が、向いてない。ってことはわかったのね。
説得力もないし、緊張するし。
「望む社会を形にしていきたいなら、
そういうこと出来なきゃ!」とも思う。
でも、私にはないんだもの、その要素。
どれだけ子ども時代まで遡っても、ない。
私の役割って何だろ。
何もないはずないんだけど。
たとえば、周りには見えてるけど
渦中の本人には見えてないことがあって、
その人の近くにいて話を聞く中で、
本人が「それそれ!」って気づくような触媒。
そういう役割は、わりと多かったように思う。
まぁ…、とは言え、
気づくための触媒にはなれなくて、
ただの「王様の耳はロバの耳」に
なってたことも多かったんだけどさ。
ということを、
思い出させてくれた人がいて、
今日、本屋をウロついていたら、
「セラピスト」という言葉が飛び込んできた。
「そっか、そういうのって、
セラピストという仕事なのね」
と遅まきながら気づく52歳(^^)。
そして、それを気づかせてくれた人は、
「カウンセラーになりたい」
という、私よりさらに年上のお姉さん。
その人は、あえて仕事にしなくても、
すでに、そういう存在として、
ご家族や友人の中で生きてるから、
別に職業という形にしなくても…。
ということを発見して、
おお~~!! ってなりました。
社会の枠組みがどうあれ、
仕事になっているかどうかはともあれ、
自然に、存在として、
すでにカウンセラーである、その人。
なるほどね~。
私も、私がいることで迷惑もかけつつ、
周りの人が、ホッと安心できる存在になれていたら、
それって、仕事にする以上に嬉しいことだな、
と思ったのでした。
いや、仕事にする必要もあるんだけど。
…核家族じゃなければ、
そういう役目って、
おばあちゃんが担ってたのかもね。
ただ、そばにいるだけで安心できる、
控え目だけど知恵のある豊かな人、
みたいな存在。
昔は、
わざわざ職業として成立しないくらいに、
そういう人が身近にいたんだろうね。
ご隠居さんと将棋しながら、とかさ。
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