『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

どれだけ残るかなぁ?

2021年04月28日 | 手足を使う日々
桜って一気に咲くから、
実が色づくのも一気です。

背丈よりちょっと大きいくらいの
小さな桜の木があるんですが、
青い実がだんだん黄色くなり、
週末、一気に赤く色づきました。

いつもは、
ネット1枚で覆えるだけの枝を覆って、
後は小鳥におすそ分けしているのですが、
今年は、夫が「コレはいい方法だ!」とひらめいたらしく、
家にあるネットを3枚使って、
嬉々として木の上と横全体をスポッと覆いました。

そしたら、めっちゃいっぱい取れました。
ふだん、どれだけ小鳥が食べているのかが、
よくわかったぞ!
そして、今年は小鳥の分も人間に当たる。
わーい!!

洗ってキッチンのシンクに置いているから、
通りすがりに赤いのからつまんで食べていく。
一番おいしい食べ方は、
ジャムでもなく、チェリーパイでもなく、
ヨーグルトに混ぜるのでもなく、つまみ食い!!

これはみんな実感しているに違いない。
採りたてほやのやをつまみ食いするのが
一番おいしい、ということに同意するから、
「〇〇狩り」とかが楽しいんだろうね、きっと(^^)。

覆いのネットの中でさくらんぼを採っていると、
徒然草の「神無月の頃」を思い出す。
「風情のある庵のヨコに蜜柑の木があって、
それが厳重に囲ってあるのが興ざめだ」
という、アレ。

教科書に載ってて、
「ウチに蜜柑の木があれば、私も守る派だ」
と思ったのを覚えてる。

さくらんぼをネット1枚分だけ覆っていた時には、
小鳥とも仲良しで、自然とも共存してる気がしたけど、
全面を覆った今年は、なんか
「こーゆーことすんのって、人間だけだよなぁ~」
って思う。

遡れば、縄文までは採取生活だったのに、
弥生に入って栽培を覚えた。
縄文までは自然の恵みをもらっていたのに、
弥生からは、自然はコントロールするものになった。

さくらんぼ。
鳥と競争で食べていた時には、
縄文人くらいの牧歌的な感じだけど、
ネットとかかけてしまったら、
弥生人以降のステージに入るね。
人間のエゴで自然をコントロールするステージに。

でも、例年のように、
鳥と競争で食べないといけない時には、
まだ少々青いものも取らざるを得なかったけど、
今年は、ライバルがいないから、
じっくり赤くなるまで待てた。

おかげで、
「甘い~」って思えるのがたくさん採れました。

これだけあったらジャムとか作れそうだけど、
通りすがりとか、お湯の沸く待ち時間とかに
赤いものから順にパクパクつまむから、
明日には、すんごい減ってるんだろうな~。

そして、やっぱりつまみ食いは、
ジャムよりおいしい♪

葛藤から開き直っての、
季節限定のお楽しみ!




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