『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

子どもは結構スパルタですが

2022年09月25日 | 考える日々
私は、たぶん本能的に、切実に、
子どものいる暮らしを求めたから、
改めて、子どもと暮らす意味を考えなかった。

この前、友人が甘えて絡んできた(!)ので、
子どもと一緒の暮らしって何なんだろうな~
と考えてしまった。

子どもが小さい頃は、
どんなに親がイケてなくても、
全身全霊で求めてくれるから、
眠れない中で、洗脳されるかのように、
子どもの望みを叶えることが自分の喜びになる。
結果的に自分の居場所を与えてもらえる。

大きくなったら「求められてない感」も味わうけど、
人に「いらない」って言われるのは、
「自分の至らないせいじゃなくて相手の問題なのね」
って、愛を持って離れられたりもする。

あと、子どもの頃に落としてきたことが
見えやすいし、追体験し直しやすい。
自分の子ども時代を、高速回転で、
他人の行為としてもう一回見せてくれるから。

「自分を育てられる機会」の文脈で言うと、
会社でも家庭でも1人でも、
自分を育てることは出来る。なんて、
何を今さらな、当たり前田のクラッカーの、
自分探しセミナー的ミミタコフレーズだけど。

両者の違いと言えば、
職場では、役目や機能としての私を求められるけど、
1人や家庭は、存在するだけで許される。
いい意味でも、悪い意味でも、
家庭では、学びたくなければ学ぶ必要はない。

子育てって、
親が子どもを育ててるように見えて、
実は、子どもが親を鍛えてくれる営みだよな。

役割と給料が介在した職場で鍛えられるのと違って、
全人格、存在をかけて、精神ベースで鍛えられる。

ちなみに小さいころ
ウチのお子さんはめっちゃスパルタでした。
親である私が「どうしよう!!」って動揺して、
泣いて人にすがったりするくらい。

ありがとう(^^)。

と思えるのは、
確かに育ててもらったんだろうな。

職場でそんな思いをしたら病みそうだけど、
家庭では、私の変わりはいないから
何としても乗り切らないと!と思って、
なかった力も出て来るし、SOSも出せる。

う~ん、やっぱりスパルタだ!
「1人産んだら1人分、
2人産んだら2人分、女は強くなる」
っていう言葉があるそうですよ~。

今は子育てする男も増えてるから、
男も強くなっていくのかな。
あ、筋肉じゃないよ、メンタルね。
強くてしなやかな人が増えたらステキ。


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