「依存」というテーマで、
話を聞き合う場に参加してきました。
10人ほどが、安心して自分を開いて、
人のことをどうこう言わずに、
自分はどうだ、ということを誠実に話してみる場。
最初はそれぞれが
「自分が依存している人やもの」を
一言ずつ単語で表現し、
それぞれ1~2分、話をします。
そして、自分なりの問いを出して、
どうしてその問いについて考えたいのか、
背景をちょこっとずつしゃべり、
その日、みんなで話す問いを決めます。
そもそも一人で生きられないのに
依存したらダメなのかとか、
どこから依存「症」で問題が起こるのか、とか。
オシと依存は似ているかとか、
よりどころと依存の境目はどこか、とか…。
んで、あと1時間くらい、
それについてフリーで話す、という時間。
ほとんど女性だったんだけど、
違う人の違う考え方を素直に聞き合うのとか、
新しいことを柔軟に取り入れるのって、
男性は苦手なのかしら?
相手を倒して家族を守ろうという、
昔からの遺伝子が、
人を受け入れる邪魔をするのかしら。
「ウマイ話に騙されるな!」って(^^)。
女性は、むしろ、井戸端で情報交換する事が、
共同体の中で必要だったから、
人の話を聞いたり、相手を否定せず、
自分の考えを柔らかく伝えるのが得意なのかも。
損得とか勝ち負けとか、
攻撃の危険から自分を守りつつとかじゃなく、
自分の実体験をそのまま安心して差し出して、
そのテーマについて深めていくから、
めっちゃおもしろい。
目からウロコがいっぱい落ちて、
私も他の方のウロコを
いくつか落としたような気がする。
終わった時には、
問いの答えが見つかっている
…んだったらスッキリするんだけど、
実際は、もっとたくさん問いが出てきます。
まぁ、機械は答えを出すのが専門だけど、
問いを出すのは人間の仕事だから、
「考えたのにさらに問いが増える」
というのは、一件無駄に見えて、
大変に人間らしい営みだと思うのです。
ハイ。本当に充実した時間でした。
本日のフォルメン 23/100
進んでいく気持ち良さに委ねる時、
ズレやゆがみは気にならない。
どんどん進んでいく。
一方通行で行きっぱなしだと、そのまま終わる。
でも、行ったきりなら幸せになるがいいけど、
戻る気になれば、もう一度同じ道をたどりなおした時に、
あちこちズレてることに気付く。
それを整えながら2周目、3周目。
行きっぱなしの危うさよ。
日記も見直したらズレに気付くだろうし、
恋愛も掃除も、終わってから全体を見わたした時に、
見逃してた何かに気づくんだろうな。
※「コレ何?おもしろそー」という方は、
コチラをどうぞ。
私にとっては、
心のヨガであり、瞑想の時間です。
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