『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

久しぶりのリアルなつきあい

2020年08月17日 | 手足を使う日々


中学生の子どもの友達の家にお邪魔した。
ら、妹がテカテカ日焼けしていて、
弟も黒光りするほど日焼けしていた。

日焼けしてる子どもって、
健康がピチピチ詰まってていいなぁ~~~~~!

朝、外に出ると、
虫取り網を持った子どもと、つきあわされているお父さん
みたいな図を時々見るけれど、
こういう風景も、愛用オーラに包まれてていいなぁ~~~!!

今日は、あれこれ持ち寄ったものを
それなりに互いの距離もあけつつ
大人がシェードの下の日陰でつまみながら、
半日アレコレおしゃべりしている間、
子どもたちは、ずっと外で遊んでいた。

絶賛反抗期であるはずの中2の夏、
「だーるまさんがこーろんだっ!」とか、
友達やその兄弟も一緒に本気でやりながら、
ゲラゲラ笑っている、夏の風景。

今年は夏休みも8月いっぱいじゃないところが多いけど、
ウチもよく考えたら、
夏休みは今日までじゃないかっ!

あれこれイレギュラーだったし、
お出かけする予定もなかった上、
子どもはずっと部活に出かけていたので、
今年、夏休みを過ごしたという記憶がないぞ!!

そして、今日半日、大人同士でしゃべっていて、
「一緒にごはんを食べると、すぐ仲良くなれるなぁ」
ということを、改めて感じた。
それなのに、今はその方法を封じられている。

久しぶりのメンバーでゆっくり会話できたのが
うれし~~!

オンラインで用事は済ませられるし、
テーマに沿って議論もできる。
ポチれば玄関先まで届けてくれるサービスもあれこれある。

だけど、ただ、そこにいて何もしなくても、
ぼーっと眠くなってきた状態の存在を感じてもらえてたり、
言葉が出て来なくても、ゆっくり待ってもらえるのは、
リアルに会う時の贅沢な余白かもしれない。

オンラインは、情報交換とか知的なところは得意だけど、
リアルに会ってると、
「知的で、生産的な人(状態の時)だけが値打ちがある」
みたいなところから離れて、存在するだけの状態が認められている。
「あれ、寝ちゃってる」「はしゃいでたもんねー」みたいな。
(↑あ、コレ、大人です^^)。

その受け入れられ加減の懐の深さの差は、意外と大きい。
オンラインと違って、リアルに同じ部屋にいたら、
隣でボケてるだけの時でも
「ああ、ぼーっとしたいんだな」くらいの注目度で、
何も求められず、そのまま受け入れられる。

それって、ラクだよなぁ。
と実感したのでした。

こういう時間、人として必要~~~~!


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