『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

ジンセイのモクテキとな?

2021年06月14日 | 『自由の哲学』
私たちは、
「なんでこんなことやってるんやろ?」
と思った時、自動的に
人のせいにしたり、場を呪ったり、
いろんな対処をしています。

でね。

「なんでこんなことやってるんやろ?」
という言葉を、心が発した場合は、
「やってられん!」でしかないのですが、
同じ言葉を、精神が発した場合には、
「私の生きる意味は何だろう?」になります。

1か月ほど前、テツガクする若者が
「生きる意味ってあると思います?」と言うので、
「自分があると思えばあると思うな~」と、
禅問答のような受け答えをしてしまいました。
ゴメン。悪気はなかったんだけど。

今日、自由の哲学を読んでいて、
まったく同じことが書いてありました。
感動的なフレーズだったから、
どこかに残ってたんだろうな~。

▼11章
「人間は人生においてどのような使命を持つか」
この問いに一元論は、
「人間が自らに課した使命だけである」と答える。
森章吾訳
世における私の使命は、前もって定まるそれでなく、
その都度私が選ぶそれである。
(鈴木一博訳)

そう。生きる意味は、自分で決めたらいいのよ。
「私はこのために生きる」って決めたら、
それだけで、その人の人生は意味ある人生になるもの。

「私は〇〇のために生きる」が、
なかなか言い切れないから、
そこはいろんなことをやりながら、
ずっとず~~っと考える必要があるんだけど。

自分の行動の目的は、
その都度、自分で決めた目的だけがある。
人生の目的も、
その都度、自分で決めた目的だけがある。

テツガクする若者に、
もっとまっすぐ伝えたかったな。








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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ZIP)
2021-06-14 04:41:37
生きる意味より死なない工夫
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Unknown (オキツ)
2021-06-15 06:53:31
二者択一じゃなくていいですけど、そちらを大事にされるんですね。
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