「自分の欲を求めてはいけない」と言う者は、
まず、人を奴隷にしなければならない。
「したいからする」人ではなく、
「命令されるからする」人に。
そもそも、欲を満たすことは喜びだ。
「善」とは、誰かに言われてしなきゃいけない事ではなく、
自分が本当の自分になりゆきつつ、
そうしたいと思うことが善になる。
それを認めない者は、
まず、人の欲をその人の中から叩き出して、
これを欲するべきだ、これが善だ、などと
外から押しつけて従わせなければならない。
※
しもべにする。
これは普通に学校や社会や会社で行われていることで、
自分の中味を育てることよりも、
正しさを示して、それに従え、と教える。
そして、従わない者は、責められる。
「なぜこんな正しいことに協力しないのだ」
「みんな頑張ってるのに、なんでお前は」なんて。
そして、その語法は、
大人になっても無意識に出てしまう。
「マイナンバー反対」「原発いらない」
自由にどんどん言えばいいのに、言いにくくなる。
普通の力のない私が、普通の力のない隣の人に
黙って非難の目を向けること。
それ自体が、とても大きなブレーキになり、
隣の人の自由を奪う。
隠されていることには気付かないけれど、
それに気付く方法は、中身に耳を澄ますこと。
「答えは自分が知っている」ということを、
確信を持って、心から信じられること。
それって、かなり強い。
回りがどう変わろうが、自分は自分に従う。
それは、生きにくいことでもあるけれど、
「自分が基準」。
ここに確信を持てば持つほど、
岡本太郎も、ヘルマン・ヘッセも、
「生まれたままに生きること」「わがままこそ美徳」
を、身を持って示している。
そこまでの勇気や覚悟がまだないから、
私は、切り離して考えてみる。
考えることで、実現に近づいていけるから。
という所に大きな希望を持って。
現実の中で生き、現実を外から見て考えることで、
自分にできること、できないこと、
したいこと、したくないことがクリアになっていく。
そして、今できることをしていく。
奴隷になっている場合ではなくて、
または、奴隷にならざるを得ない環境でも、
精神の世では奴隷状態から抜けられる。
内面ではひっくり返すことができる。
どんなに似合わない服を着せられても、
自分の中身には影響しないでいることができる。
そのためにも、意志を鍛えなくては。
外に刃向かうことで外で戦うのではなく、
自分を確立するために、自分を鍛える。
誰かや何かを責めたりせず、自分の道を静かに歩みたい。
そういう人がいっぱい増えること。
そしたら、たくさんの正しさが共存できる。
たくさんの善、たくさんの自由が
重なり合って、共存できる社会がいいなー。
まず、人を奴隷にしなければならない。
「したいからする」人ではなく、
「命令されるからする」人に。
そもそも、欲を満たすことは喜びだ。
「善」とは、誰かに言われてしなきゃいけない事ではなく、
自分が本当の自分になりゆきつつ、
そうしたいと思うことが善になる。
それを認めない者は、
まず、人の欲をその人の中から叩き出して、
これを欲するべきだ、これが善だ、などと
外から押しつけて従わせなければならない。
※
しもべにする。
これは普通に学校や社会や会社で行われていることで、
自分の中味を育てることよりも、
正しさを示して、それに従え、と教える。
そして、従わない者は、責められる。
「なぜこんな正しいことに協力しないのだ」
「みんな頑張ってるのに、なんでお前は」なんて。
そして、その語法は、
大人になっても無意識に出てしまう。
「マイナンバー反対」「原発いらない」
自由にどんどん言えばいいのに、言いにくくなる。
普通の力のない私が、普通の力のない隣の人に
黙って非難の目を向けること。
それ自体が、とても大きなブレーキになり、
隣の人の自由を奪う。
隠されていることには気付かないけれど、
それに気付く方法は、中身に耳を澄ますこと。
「答えは自分が知っている」ということを、
確信を持って、心から信じられること。
それって、かなり強い。
回りがどう変わろうが、自分は自分に従う。
それは、生きにくいことでもあるけれど、
「自分が基準」。
ここに確信を持てば持つほど、
岡本太郎も、ヘルマン・ヘッセも、
「生まれたままに生きること」「わがままこそ美徳」
を、身を持って示している。
そこまでの勇気や覚悟がまだないから、
私は、切り離して考えてみる。
考えることで、実現に近づいていけるから。
という所に大きな希望を持って。
現実の中で生き、現実を外から見て考えることで、
自分にできること、できないこと、
したいこと、したくないことがクリアになっていく。
そして、今できることをしていく。
奴隷になっている場合ではなくて、
または、奴隷にならざるを得ない環境でも、
精神の世では奴隷状態から抜けられる。
内面ではひっくり返すことができる。
どんなに似合わない服を着せられても、
自分の中身には影響しないでいることができる。
そのためにも、意志を鍛えなくては。
外に刃向かうことで外で戦うのではなく、
自分を確立するために、自分を鍛える。
誰かや何かを責めたりせず、自分の道を静かに歩みたい。
そういう人がいっぱい増えること。
そしたら、たくさんの正しさが共存できる。
たくさんの善、たくさんの自由が
重なり合って、共存できる社会がいいなー。
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