中学生の頃、巷で流行った「悪女」を聞いて、
「大人には、こんな嘘のつきかたもあるのね!」
と恋を知らない田舎の中学生は驚いたのですが、
それ以来、みゆきさんの選ぶ言葉に
導かれたりドキッとすること数えきれず。
初めて聞いた時から
「おお~~~~~」って感動する歌もいろいろあって、
今日、たまたま耳に飛び込んできたのがコレ。
「Nobody is right」。この歌詞がまた!
争う人は正しさを説く
正しさゆえの争いを説く
その正しさは気分がいいか
正しさの勝利が
気分いいんじゃないのか
正しさゆえの争いを説く
その正しさは気分がいいか
正しさの勝利が
気分いいんじゃないのか
Nobody is right Nobody is right
正しさと正しさとが
相容れないのはいったい何故なんだ
相容れないのはいったい何故なんだ
おおぉ~~~~。
今日もやっぱり、「おおぉ~~」って思った。
友達や家族のモメごとから、
国と国との大きなことまで、
正しさは人の数だけあって、
正しさがケンカの理由になる。
友だちや家族から、国と国まで、
強い人が力で現状を変えるのを非難しながら、
別の正しい人も、別の力で現状を変えようとする。
それぞれの場面で何かを決めるのは、
一人ひとりの人。つまり私。
自分の手の届くところでは、
力による現状変更をせず、
ギリギリまでわかりあう努力を重ねたい。
たとえば、話の噛み合わない夫とか、
思春期の子どもが横柄な時とか。
外の出来事を、
借り物の言葉で軽く評論するより、
そういうことを重ねる努力が
いかに大切で大変かを思い出している。
説得しようと思ったら、必ずモメる。
力のぶつかり合いになる。
それがイヤで
距離を置いたまま放置したりする。
だけど、
時間をかけてお互いの思いに寄り添っていくと、
何かの違う答えにたどり着く。
ホントは、どっちもが寄り添う姿勢なら、
早く答えにたどり着けていいんだけど、
それを相手に期待するのも、
勝手な押し付けかもしれない。
まずは、自分だけでも、
相手の考えを聞かせてもらうモードになれば、
相手が自分からほぐれていくことも多い。
「聞く」ことは、時に正しさよりも強い。
そんなことも実感している。
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