『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

南の島の飲食店(4)

2022年04月17日 | 考える日々
南の島に限らず、
旅先では、地元の人の行く飲食店や
地元のローカルなスーパーが楽しい。
異文化が色濃く表れているから。

こないだ行った南の島では、
飲食店の風景が昭和でした。

子連れ大家族の、幼児と赤ちゃんは、
他のお客さんに迷惑をかけないように
スマホで動画を見せられているわけでもなく、
いろんな席をパタパタと回遊している。

そして、
他の方に迷惑でしょ、と叱る親を後目に(?)
お客さん全員から可愛がられ、
「コレ何?」的に興味を示したものを、
小さな口に入れてもらったりもして、
ますます、親に叱られている(^^)。

私たちは、さすがに
赤ちゃんのお口に入れたりはしなかったけど、
高1の娘も「かわいい~」って連発してるし、
赤ちゃん語でお話してくれてるのも迷惑でもなくて、
むしろ、何度も来てくれるうちに
「懐いてくれて嬉しい」くらいの感覚になる。

こういう感覚って、あったなぁ~。
子どもが迷惑な存在だとカウントされない感じ。
私が子ども時代を過ごした昭和でも、
家の前に置いてた乳母車の中にいる私を、
通りすがりの人があやしてくれてたらしいし。

明治時代、日本に来た外国人が
「子どもにこんなにやさしい国はない」
ってビックリしてたらしいから。

子どもの間は、まだ神様からの預かりもの。
いつ、連れて行かれるかわからない。
だから、出来る限り大事に守っていこう。
そんな感覚が残ってたんじゃないかな。

ナントカ式教育とか知らなくても、
子どもの中に神性を見出せた時代があった。
大人は、雑多な経験で上書き保存してきたけど、
根っこまで戻れたら、神性が見つかるはず。

そして、経験の分、
その生かし方も身につけて来たかも。

神性…どんな言葉がいいんだろ?

事実として自分という存在がこの世に許されているけど、
許しているのは人間じゃなくて誰?

神的なものが許している私に、
ちっぽけな私がダメ出しする意味ある?? 
そんな無駄なことしてないで、
デコボコを含め、自分として生きなさいよ、
みたいな。

う~ん、うまく言えないや。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿