
昨日書いてた南の島の飲食店、
めっちゃ良かったのよ。
味も大将も店の雰囲気もお客さんも。
というか、島のゆるさがいいのかも。
大将一人でやってる店だから、
料理が出て来るまでに時間かかりそうだと読んで、
最初にアレコレ一気に頼み、
「得に急ぎませんので」ってお伝えしたら、
意外にも絶妙なテンポで出て来る。
1人で料理して、ホールの人もいないから、
大将が料理を持ってきてくれるのよ。
他のテーブルの人も、
特に待たされている感じもない。
え?? 絶対作り置きじゃないのに、
どうやって回してんの???
「分身の術」って言いたくなるくらい。
私は厨房に背を向けていたから
気づかなかったんだけど、
どうやら、
お客さんもテキトーに手伝ってるみたい。
ビールを注いだり、
自分の席に運んだりするのはもちろん、
もとアルバイトさんなのかしら??
もずくみたいにカンタンなものは、
自分でお皿に入れたりもしてる。
こういうゆる~い感じ、好きだな~。
令和の「公衆衛生」の観点からはアウトだけど、
子ども時代を昭和で過ごした感覚では、懐かしい。
お店は掃除が行き届き、
厨房もピカピカに磨かれているのを見ると、
うるさいことを言わなくても安心できる。
刺身の盛り合わせ的な物も、
揚げ物も炒め物も
絶妙に美しく、おいしい。
そして安かった。
その場がうまく回るように
出来る人が出来ることをする。
なんか、そういうの、理想的だよな~。
ザ・自由の哲学(^^)。
そして、
忙しい大将が料理の手を止めなくていいように、
異文化の私たちも、追加注文したい時は、
厨房に聞こえるように大声で通すようになり、
何なら、カウンターまで注文しに行って、
ついでに料理を受け取って帰ったりして。
人って、柔軟だわ~。
異文化に入っても、すぐ場の流儀に馴染むのね。
いい時だけじゃなくて、悪い時も同じだろうから、
そこには気を付けたいけど。
異文化って、
自分の常識がシェイクされる感じが好き。
「それもアリなんだ」が、目の前にあると、
「なんで今自分はこうしてるんだっけ?」とか
改めて意識するようになれるから。
ザ・意識魂の時代。
意識することで、自由になっていける。
いつでもどこでも柔軟がいいわけじゃなくて、
時と場合によって切り替えられるのが自由。
シュタイナーだって、
「オレの言うことを聞け」じゃなくて、
「現場で、目の前で、自分が判断しろ」、
が推奨だもんね。
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