『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

心配を押し付ける

2022年05月05日 | 高校生の隣で
いったん完成させたつもりの企画書を、
見てもらってアドバイスをもらった。

「お気持ちはコレでよく伝わるので、
あとは、社会的な課題に絡めてみては?
格差社会とか居場所作りとか…。
最近は、教育の裏課題として、
非認知能力を高めることも言われてますし」って。

「非認知能力」。
聞き慣れない言葉だけど、
「生きる力」や「人間力」みたいな、
点数で測ることができない能力のこと。

ほぉ。今さらだけど。
ずっと点数で測って序列つけてきたけど、
学校もやっと方向転換なのかな?
としたら、めでたい。

というか、両方大事にしたらいいよね。
点数で測れるところも、測れないところも。

何にしろ、
答えの出ない問いを、あえて問うてみることが
「そんなこと考えてもしょーがないやろ」
と言われた時代から、進化してるようでウレシイ。

ということがありまして。

GW、高校生になった子どもが、
部活や学校の友だちと遊びまわって、
あんまり家にいません。
ちょっと心配。

今日も、朝、部活があったんだけど、出かける時に
「部活の後、先輩の贈り物考えて、
友達とお祭り行って、夕方から塾行くから、
帰るの10時過ぎかな? 晩ごはん先に食べといて」と。

はぁ?? ごはんどーすんの?
最近、ずっとリビングで寝落ちしてるし、
夜中までLINE通話つなぎっぱなしだし、
なんか、すごくだらしなくてイヤだ。
それが、ホントにしたいことなの?

アナタが今、感情の奴隷状態で、
やりたいことをスマホさんやテレビさんが邪魔してるなら、
親がコントロールした方が、
自分のやりたいことが出来るかもよ?
「帰ってから、ちょっと話ししよう」と、送り出した。

送り出してから、ふと思い出した。
「非認知能力」という言葉を。
遊んでる中で、あれこれ学ぶんだろうな。
親が教えられないようなことを。

子どもは子どもで自分なりにちゃんとしてるんだろうし、
隣町のお祭りに新しい友達と行くとか、
引退する先輩に何か作って贈ろうとか、
わりと健全なんじゃないの??

中学時代、生活圏内の神社には、
だんじりとかが出るお祭りがなかったから、
日本文化の伝統や迫力に触れるわけだし、
贈り物を決めるのも作るのもクリエイティブだし、
余計な心配だったかも。

子どもの成長について行けてないから心配、とか、
急に家にいなくなって話をしないのが寂しい、
とかも、たぶんある。
友だちがいなけりゃいないで心配だし、
余計な心配を押し付けてるかも。

そこを差し引きすると、子どもに伝えたいことは、
・成長期なので食事と睡眠はちゃんととろう。
・家での役割は責任持って果たそう。
・将来の方向性を考えるために行動を広げよう
・高め合う関係の友だちになっていこう。
ってことでした。

まぁ、突き詰めれば、
「感情じゃなくて自我によって自分を動かす」
「不安じゃなくて、愛から行動する」
っていう、自由な人になって欲しいな、ってことで、
これは、私もず~っと挑戦し続けてる課題でした。

難しいけど、
「自我によって自分を動かす」は、
自我のある人間だけに許された動き方だからね。
快不快を、自分だけの特別なセンサーにして、
自分なりの理由や目的を意識して動きたいよね。

お互い、がんばろう、おー!



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