異文化に触れたら、
自分に気付いたわシリーズ(?)、第2弾。
エラソーすぎた40代の私は、
「10年かけて謙虚になる!」という目標を立て、
周りで起こることにぶつからず多少学ぶようになり、
今では腹も立たない性分になっている。
んで、それなりに謙虚になった50代の私は、
自分一人で完結してるんじゃねーよ、と、
「この10年は身体を使う!」という目標を立て、
自分の頭にあることを、具体的に繰り出していきたいと、
アレコレやっているのでした。
今までも新しいことを始める時はそうでしたが、
ともかく、小さな私があーだこーだ言う前に、
大きな私が魅かれる場所で、ステキな人たちと、
身体を使ってみています。
知らないことを教えてもらって、
やり方を見せてもらって、
やらせてもらって、
間違いをフォローしてもらって、
覚えられなくて2回聞いて教えてもらって、
という、もらいっぱなしのもどかしい時間。
んでね。ふと気づいたのです。
「人と一緒に何かをしていると、
自分一人では金輪際しなかったようなことが出来る」
ってことを、すでに知ってた、ってことに。
誰かと一緒にいると、
相手からガソリンを注いでもらって、
自分のエンジンがいつもより高出力になる。
身体を使って何かをする時には、誰かと一緒がいいな。
お返しはまだまだ出来ないから、せめて敬意を返そう。
一方、自分の心を繊細に探索しに行く時には、
一人の時間が必要。
誰かと一緒に感じていると、
誰かの影響で自分の感じ方が変わる事もあるから。
特に、私みたいに相手の気持ちに沿いたいタイプは、
すぐ影響を受けるから、わからなくなる。
んでまた、考えるとか、言葉にするとか、
そういう精神的な活動をする時は、
一人で言葉にしたことを、また誰かと分かち合うことで、
一人じゃ気づかないような言葉が浮かんだりする。
他者って、ありがたいなぁ。
シュタイナーが言うように、
「身体、心、精神」の3つの重なりで人間が出来ているとしたら、
私の身体は、誰かと一緒の方が利用価値が上がる。
心に感じたことは、一人で静かにすくい取ることが必要。
理想や真善美に向かう精神的な言葉や考えは、
誰かと受粉し合うと実りやすい。
そんなことを知っていることに、気付いたのでした。
ヘンな言い方だけど、たぶん、誰でも知ってるよね。
「~ということが意識できました」かな。
いや~、誰もいなくても
身体を十全に使える人種がいるってのも
知ってるんだけどね。
私は自分に甘いタチだから、
締め切りも必要だし、見張り役も必要。
こういう使い分けをすることで、
前より自分が自由に使えるようになるとしたら、
この不自由はイヤじゃないな。
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