
暑さ寒さも彼岸まで。
朝、移りゆく朝日の光の中で散歩をしていると、
「実」がいろいろ目に付きました。
名前は知ってたり、知らなかったり。
連れて帰りたくなって、
適当に摘みながら歩いていた。
鳥はこの季節、
ごちそうがいっぱいだな~♪
「〇〇教」と分かれる以前の大きな存在を、
もしカミサマと呼ぶとしたら、
あらゆる存在に意味があるはず。
では、小鳥を養えない私という存在は、
何を養うために作られたのか。
季節のめぐりと人生のめぐりを重ねると、
私の人生は、秋。
そもそも、私は何を実らせているのか。
何か、実らせたものがあるのか。
以下、ぜんぜん実ってないけど、
自分比で、こういう個性は自覚している。
リードするより、寄り添う方。
話すより、書く方。
アタマや身体より、心重視。
そして以下、自覚症状だけど、
人の話を聞くのが好き。
初対面でもそんなに緊張しない。
本を読むのが好き。
ホントウのことがずっと気になり続けている。
人は自由になればいいと思っている。
そういうのが、今まで生きてきた中で、
作られてきた自分なんだけど、
それを、どう生かすのか。
私を何に使ったら、カミサマに喜ばれるのか。
たとえば、自分で答えを探したい人に寄り添ってみる。
たとえば、別に悩んでないけど、考えたい人と
一緒に話をしながら、聞きながら、お互いに整理し合う。
そんな方向かな、とは思うんだけど。
それって、どういう仕事?
待ちながらアレコレ展開してきたことが、
そもそも答えなのかもしれないけれど。
向き合ってれば、そのうち形になるかな。
突き詰めて考えるより、
答えが来るまで待つタイプ…。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます