『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

秋の木の実と、私の実りと

2020年09月22日 | 考える日々


暑さ寒さも彼岸まで。

朝、移りゆく朝日の光の中で散歩をしていると、
「実」がいろいろ目に付きました。
名前は知ってたり、知らなかったり。

連れて帰りたくなって、
適当に摘みながら歩いていた。
鳥はこの季節、
ごちそうがいっぱいだな~♪

「〇〇教」と分かれる以前の大きな存在を、
もしカミサマと呼ぶとしたら、
あらゆる存在に意味があるはず。

では、小鳥を養えない私という存在は、
何を養うために作られたのか。

季節のめぐりと人生のめぐりを重ねると、
私の人生は、秋。
そもそも、私は何を実らせているのか。
何か、実らせたものがあるのか。

以下、ぜんぜん実ってないけど、
自分比で、こういう個性は自覚している。

リードするより、寄り添う方。
話すより、書く方。
アタマや身体より、心重視。

そして以下、自覚症状だけど、
人の話を聞くのが好き。
初対面でもそんなに緊張しない。
本を読むのが好き。
ホントウのことがずっと気になり続けている。
人は自由になればいいと思っている。

そういうのが、今まで生きてきた中で、
作られてきた自分なんだけど、
それを、どう生かすのか。

私を何に使ったら、カミサマに喜ばれるのか。
たとえば、自分で答えを探したい人に寄り添ってみる。
たとえば、別に悩んでないけど、考えたい人と
一緒に話をしながら、聞きながら、お互いに整理し合う。

そんな方向かな、とは思うんだけど。
それって、どういう仕事?

待ちながらアレコレ展開してきたことが、
そもそも答えなのかもしれないけれど。
向き合ってれば、そのうち形になるかな。

突き詰めて考えるより、
答えが来るまで待つタイプ…。


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