「自由の哲学」好きとしては、
それぞれで考えて、それぞれで決めたことが
いろいろ違うのが当たり前だし、
他人がどうこう言う事じゃないと思います。
自分と違う考えの人を、否定せず、
そして否定もされず、共存していたい。
誰かに何かを強制するようなのが一番イヤ。
もちろん、強制されるのもイヤ。
だけど、違う意見の人と一つのことを決めるのは、
まーまー大変です。
先日、ある小さな集まりで、開催1週間前に、
「オンラインよりリアルで集まりたい」
と言い出す人がいました。ほぉ。
同じ頃、別の集まりでも、開催2週間前に
「リアルはやめて、オンラインにしませんか?」
という人が出てきました。ほーほー。
片方はオンラインを、
もう片方はリアル開催を希望してます。
別の集まりだから、希望が反対だ(^^;)。
正直ね、決まったことを変更するのって、
「めんどくさ~」って思うんです。
考えることも増えるし、話し合いも必要だし、
感情的になるリスクもあるし、
あれこれ連絡しないといけないから。
だけど、それも最初だけ。
それについて話し合った後は、
「そういう事を言えるのって健全だな」
と嬉しく誇らしく思うのです。
いや、私はなかなか言えないんだけどね。
身の回りの人とは調和したいっていうのか…。
だからせめて、言ってくれる貴重な人を応援したい。
もちろん、自分と意見が違っても。
稀に、そういう人が、
「自分の意見以外はみんな間違い」みたいな、
言いっぱなし大王の場合は、困るだろうけど、
今はそういうタイプが身近にいないから問題ナシ。
自分たちの場は自分たちの力で整える、
集まったメンバーを尊敬する、というベースがあれば、
新しい意見を提出する本人も、一緒に考える人も、
みんなで知恵を出し合い、聞き合って、
最適解を探すことができます。
そういう時は、少なくとも、
最初に勇気を持って言い出してくれた、
重大な心配はみんなで共有できているし、
そこだけはしっかりクリアされています!
「自分はこう思う」「ホントはこうしたい」と
安心して言える場所、関係、人。
そこでは、正解を探すのではなくて、
勝ち負けを決めるのでもなくて、
いろんな考え方の人が、
みんなで幸せになる練習をしてるんだな~
と思います。
地球まるごと、時代まるごとで、
そういう練習をする場がなんて多いことか。
それって、人類の課題かもね!
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本日のフォルメン 20/100
5つの結びになっても、
交差は上下の順番なのか、確かめてみた。
色の美しさがどんどん私をうながし、
アレコレ感じるよりも「夢中」になって描いていた。
「夢の中」だから、何も考えてないのよ。
ただ、幸せな気分を味わってた。
調整プロセスを無視した単純化だけは避けた方が良さそうです。
まさに練習ですね。