『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

工夫することと、余計なこと~鉄のお釜で豆ごはん~

2020年06月04日 | 考える日々


日々の暮らしの中で鉄分を補えたらいいな、と思い、
鉄のお釜でごはんを炊いて2週間。

最初は火加減をあれこれ試してみたんだけど、
一度ガスコンロの「炊飯モード」を試してみたら、
なかなかおいしく炊けたので、
以降、ずっと「炊飯モード」で炊いています。

今日は、豆ご飯を炊き、ちょっとお焦げも欲しいと、
いったん炊きあがった直後に、強火にかけてみました。

目を閉じて、耳を済ませ、匂いを嗅ぎ、
…と、いろんな感覚を研ぎ澄まして集中。
「パチパチって音がしたら、
ご飯が焦げはじめたら証拠だから、すく火を消すぞっ」と、
ごはんの準備とは思えない緊張感とともに数十秒(^^)。

「よしっ、今だ!」と火を消して底から混ぜてみたら、
焦げすぎて難くなったごはんが鍋の底にこびりついてた。
やーーん、やっちゃった〜〜!!!

焦げた鉄のお釜って、重いから洗うの大変なのにー。
せっかくお任せの「炊飯モード」があるのに、
余計なことしなけりゃよかったよー。

と思った瞬間、
「ん? 余計なこと??」と微妙な違和感が。
人は遊びによって進化してきたのではなかったか?
遊びは、その定義上、不必要な事ではなかったか?

今ドキの遊び方やゴールの決まったおもちゃは、
工夫が変化を生んで楽しめる、というよりは、
余計なことをしたら壊れたり、
パーツが足りなくなってガッカリしたりする。

そんなおもちゃであそんでいるうちに、
「余計なことしないで決まりに従う方がいい」
って学んでしまったら、どーしよう!
その子の人生の、いや、人類の大きな損失よ!!

だって、あれこれ余計なことする時や
あり得ないような高望みをする時に、
自分は成長してきたんだから。

それに、「余計なこと考えなくても、
決まった手順が一番いい」って思ってる時は、
何も楽しいことないし、イキイキもしていない。
ソツなくこなす、が目的の時はそれがいいけど、
ソツなくこなしたいし、人間としても育ちたい、が目的なら、
そのやり方ばっかりだと、ちょっとキビシイのでは。

余計なことをしてみていいのよ。
余計なことして成功したら、
きっと「自分なりの工夫」って言われるはず。

今回も、焦げを作ってみたから、
その加減が難しいことがわかった。
「今度は違う方法で絶妙な焦げに挑戦するぞ〜!」
って、ごはんを炊く楽しみがどんどん増えていくもん。

ソツなくこなすのも、余計なことも、
状況に応じてどっちもできる気持ちの余裕、
持っていたいなー。

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ここまでいったん書いて、
「おなかすいた~」の声にせかされて、
おかずを作って、ごはんにしました。

そしたらなんと!!!
蒸らし時間を経て、ごはんをよそってみたら、
蒸らしている間に水分が行き渡って馴染んだのか、
焦げつきが、いい感じのお焦げになっていたのです!!!!
おおおお、おーまいがっ!! 神さまスゴイです!!!

…なんでカミサマなのか、
どこのカミサマなのかわからんけど、
とりあえずすごーーーい。

こんなことにビックリしたり感動したりできるのも、
オート機能にお任せするんじゃなくて
自分であれこれやってみてこそのお楽しみ♪

どうも、省力化の時代に反するみたいだからこそ、
「自分の手を使うことにも値打ちあるんじゃない?」
ってことを、時々、確認していきたいと思います。
ではでは、長くなりました。


鍋底のごはんが真っ黒に見えてがっかりしたのに。
30分後、いい感じになってるという不思議!
写真では全然おいしそうじゃないけど、おいしかったのよ!

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