日々の暮らしの中で鉄分を補えたらいいな、と思い、
鉄のお釜でごはんを炊いて2週間。
最初は火加減をあれこれ試してみたんだけど、
一度ガスコンロの「炊飯モード」を試してみたら、
なかなかおいしく炊けたので、
以降、ずっと「炊飯モード」で炊いています。
今日は、豆ご飯を炊き、ちょっとお焦げも欲しいと、
いったん炊きあがった直後に、強火にかけてみました。
目を閉じて、耳を済ませ、匂いを嗅ぎ、
…と、いろんな感覚を研ぎ澄まして集中。
「パチパチって音がしたら、
ご飯が焦げはじめたら証拠だから、すく火を消すぞっ」と、
ごはんの準備とは思えない緊張感とともに数十秒(^^)。
「よしっ、今だ!」と火を消して底から混ぜてみたら、
焦げすぎて難くなったごはんが鍋の底にこびりついてた。
やーーん、やっちゃった〜〜!!!
焦げた鉄のお釜って、重いから洗うの大変なのにー。
せっかくお任せの「炊飯モード」があるのに、
余計なことしなけりゃよかったよー。
と思った瞬間、
「ん? 余計なこと??」と微妙な違和感が。
人は遊びによって進化してきたのではなかったか?
遊びは、その定義上、不必要な事ではなかったか?
今ドキの遊び方やゴールの決まったおもちゃは、
工夫が変化を生んで楽しめる、というよりは、
余計なことをしたら壊れたり、
パーツが足りなくなってガッカリしたりする。
そんなおもちゃであそんでいるうちに、
「余計なことしないで決まりに従う方がいい」
って学んでしまったら、どーしよう!
その子の人生の、いや、人類の大きな損失よ!!
だって、あれこれ余計なことする時や
あり得ないような高望みをする時に、
自分は成長してきたんだから。
それに、「余計なこと考えなくても、
決まった手順が一番いい」って思ってる時は、
何も楽しいことないし、イキイキもしていない。
ソツなくこなす、が目的の時はそれがいいけど、
ソツなくこなしたいし、人間としても育ちたい、が目的なら、
そのやり方ばっかりだと、ちょっとキビシイのでは。
余計なことをしてみていいのよ。
余計なことして成功したら、
きっと「自分なりの工夫」って言われるはず。
今回も、焦げを作ってみたから、
その加減が難しいことがわかった。
「今度は違う方法で絶妙な焦げに挑戦するぞ〜!」
って、ごはんを炊く楽しみがどんどん増えていくもん。
ソツなくこなすのも、余計なことも、
状況に応じてどっちもできる気持ちの余裕、
持っていたいなー。
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ここまでいったん書いて、
「おなかすいた~」の声にせかされて、
おかずを作って、ごはんにしました。
そしたらなんと!!!
蒸らし時間を経て、ごはんをよそってみたら、
蒸らしている間に水分が行き渡って馴染んだのか、
焦げつきが、いい感じのお焦げになっていたのです!!!!
おおおお、おーまいがっ!! 神さまスゴイです!!!
…なんでカミサマなのか、
どこのカミサマなのかわからんけど、
とりあえずすごーーーい。
こんなことにビックリしたり感動したりできるのも、
オート機能にお任せするんじゃなくて
自分であれこれやってみてこそのお楽しみ♪
どうも、省力化の時代に反するみたいだからこそ、
「自分の手を使うことにも値打ちあるんじゃない?」
ってことを、時々、確認していきたいと思います。
ではでは、長くなりました。
鍋底のごはんが真っ黒に見えてがっかりしたのに。
30分後、いい感じになってるという不思議!
写真では全然おいしそうじゃないけど、おいしかったのよ!
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