少し年上の人とやっている、
自由の哲学の読書会。
今日は、久しぶりにリアルに出会って、
10時すぎから結局15時半くらいまで、
ず~っと本を読んで、そこから派生することを
おしゃべりしたりしていた。
むしろおしゃべりの方が多かったくらい。
そして、ちゃんと寝ているのに、
帰ったらめちゃくちゃ眠くて、
脳みそを使うと疲れるんだな、
ってことを、リアルに体感してしまった。
その場で、
「自由の哲学終わったら、何読む?」
っていう話をしていたら、
「私、自由の哲学が終わったらいったんやめる」
と、一人が言い出した。
聞けば、
「心理関係の国家試験を受けるから、
勉強したい」ということでした。
60歳を目前に、すごいチャレンジだな。
その場にいたもう一人も、
実は受験資格があることが判明したり、
もう一人の人の友人なんて、
70歳でその資格試験をすでに受けた、
という話も出て。
年齢関係なく、自分に出来る事があれば、
学び、挑戦し、世に繰り出したいと思う人が、
こんなに身近にいっぱいいて、
とても幸せな気分になった。
50~70歳くらいの集まりで、
この明るさはかなり特殊なんじゃないだろうか。
輝く先輩たちのおかげで、
年を重ねることがイヤなことでは決してなくて、
どうやって年を重ねようかと、希望と共に考えられる。
毎朝、5時に起きて本を読んで、
大切なところを抜き書きしている人、
エニアグラムを学んでいる人、
キリスト教について学んでいる人、
みんな、すごいなぁ~。
私も、ファシリテーターだのフォルメンだの、
地味に学び続けているけど、
教えるっていう路線がピンとこないから、
世に還元する方法がよくわかんないんだよなぁ。
一緒に味わう、一緒に学ぶ、なら、
いくつかできそうなことはあるんだけど。
それぞれに輝く人たちが、お互いを照らし合って、
まるごとの自分を持ち寄って学び合う場では、
一昨日学んだことが、今日にもつながって、
「今、“対象的思考”が必要なシーンだな」
なんてことが、頻発する。
日常の夫婦関係であったり、
親子のアレコレの問題を持ち寄ったって、
単なる愚痴で終わらないで、
具体的な話から抽象的な概念を引き出し、
相手を変えるのではなくて、
自分を育てる種にしていく。
私個人は、自分の生かし方が形にならないまま
トンネルの中にもう3年くらいいるけど、
そのトンネルの外で会う人たちは、
ホントにステキな人たちだらけだ。
トンネルだと思っていたのは、
シェルターだったのかもしれないわ。
夢見る夢子さん。
そりゃ出られないはずだ。
トンネルだと思っていたのは、
母胎、なのかもしれない。
いいかげん、外に生まれ出なきゃ。
それとも、すでにここが外の世界かな?
▼本日のフォルメン 74/100
※「何コレ?おもしろそー」という方は、
コチラをどうぞ。
私にとっては、
心を整えるヨガであり、瞑想の時間です。
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