『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

思春期の隣で、更年期が崇高な気分になった件

2022年08月08日 | 高校生の隣で
ウチにいる15歳を見ていると、
友達とSNSでつながって、
ひたすら動画を交換したり、
電話をつなぎっぱなしでおしゃべりしたり。

中学生までの家での過ごし方と全然違う。

リアルな世界に、実際に関わって欲しくて、
中3の冬までスマホを持たずに、
特に不自由もなくやってこれたんだけど、
高校になった途端、コレだもんな~。

部屋を覗きにいくと、ほぼ、もれなく、
寝そべってスマホで何かしています。
「あ~、スマホとの付き合い方、
失敗してるな~」と思ったりします。

あまりにもずっと見ているので、
昨日、ちょっと話をして、
「中毒かどうか、試してみない?」と、
スマホとタブレットを預かってみました。
「要る時になったら取りに来て、渡すから」って。

結果、お昼と午後に小1時間ほど。
後は、夜寝る前に取りに来ました。

「なんか無駄なことしてんな~」と、
自分でも思ってます。
そういうことじゃないんだよね、きっと。
もっと面白い事がないのが問題だし、
私が子どもの本質を理解してないのも問題。

今日読んでた本(※)に、15歳ごろは
「社会との結びつきを求めている」けど
「自分の本質を社会にさらすことを恥じらう」から、
「仲間を模倣するのが嬉しい」んだと書いてあって、
SNSにハマる衝動がちょっとわかった気がしました。

そして、このお年頃、
周りにやたらとムカつくけど、それも、
「健全な骨がないと人がまっすぐ立てないように、
自我とアストラル体が立つために理想が必要」
って意味のことが書いてありました(※)。

※『14歳からのシュタイナー教育』
第5講P108~109あたり

そうよね~。
私も昔、めっちゃ理想ばっかり言ってた。
そして、理想的でない大人の行動に、
やたら厳しかった。

そして、人生一回りして
大人の側から自分のその時代を見ると、
あの頃にムカついていた事は、
今も自分の中の大きな課題につながっていて、
どうにかしたいと思い続けてる。

だから、一度しかない思春期の時代、
真っすぐ大人にムカついてくれたら、
その子が大人になった時に、
それを変えてくれる力になるに違いない。

そう思えば、ふだん穏やかさんで、
全体を見て動くタイプの子どもが、
時々、大人にムカついて毒を吐いているのも、
好ましく思えてきます。
もっとやれ~~。

って、勝手なもんだわ(^^)。

それにしても、
人間の成長って、すごいな~。

最初に、無条件に愛される時代があって、
次には、世間知らずゆえに、
潔癖に周りにムカつける時代が来て、
社会に揉まれながら自分を立てていく時代があって、
体力がなくなる変わりに、経験値が積み重なって、
具体的に社会に働きかけられる時代が来て。

一人の人生の、あらゆる時々の課題が、
全部ひとつに折り合わされていく。
個人が成長していくのはもちろん、
人類としての進化にも組み込まれて行くだなんて!

そのうち、きっちり一人分を、
まるごと全部自分の責任で担っていると思うと、
その重さと、「一人分は使える」という自由さに、
ちょっとため息が出るような、
厳粛な気分になりました。



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