『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

言葉の色

2021年03月05日 | 考える日々
こないだ終わった「自由の哲学を4回で読む会」で、
Kさんが提案してくださった読み方が、
難しい本を読む時にとても役立っています。

「著者が熱を持って書いているところに
赤線を引きながら読もう。
それが、著者の本当に言いたいことだから」って。
あら、書いてみたら当たり前だわ。

シュタイナーは、
いったん「あーでもないなら、こーではないよね」
っていう例を出してから、
「じゃあ、そーでもない時の、結論はこうだよね」
っていう書き方をすることがよくあるけど、その
「結論はこうだよね」に赤線を引く。

赤線を引きつつ読むのなんて、
全然目新しくないけど、もうちょっとだけ意識的に
「著者が熱を持って伝えたかったのはコレ!」
っていうのを探しながらの、赤線。

それを自分でもやるようになって、
書き言葉だけじゃなくて、普段話している言葉にも、
色やサイズや形や温度がある、
って感じる時があるように感じるようになった。

自分の考えを進めるために使う、青や紫の言葉。
人にぬくもりを伝えるために使う、オレンジや赤の言葉。
「そっか!!!」って急に何かがわかった時の、
稲妻の光のような黄色い言葉…。

自分が評価されたくて人を貶めるような、
ヘドロ状のドロドロの言葉もあるし、
にごりのない心で口にする透明な言葉もある。

ゴミを捨てるのがいけないのと同じように、
人を見下して自分を立てるとか、
噂にのっかって何かを言い立てるとか、
そんな言葉をまき散らすのは、いけないことだ。

言葉が目に見えたら、きっと誰でもそう思うはず。
自分の中できれいにしてから出すべき言葉を、
浄化するのがしんどいからって、
どこにでも吐き出していいはずがない。

そういうことに敏感になると同時に、
言いたいことは言っていい、っていうのも真実。
隠れた場所から言い捨てるんじゃなくて、
そこから対話を始めるために。


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ZIP)
2021-03-05 13:56:26
言葉は同じであっても意味が通じないのは、その言葉に社会性が欠けているからです。
言葉はあくまで意味を伝えるものですから、意味が正しく伝わる限りその社会は保証されるはずですが、人によって感じる色や温度が違うとなれば当然社会は保証されているとは言えないのですから意味も正しく伝わるわけはありません。
同じ言葉を使っているとはいえ、使う人毎に感じる色や温度が違うのですから社会はむしろ多様性を帯びているわけです。
シュタイナー先生が感じていた社会の色や温度は今と同じかどうか私には分かりません。
人は言葉という酒に酔って社会が多様に見えているだけかもしれません。
果たして会話が成立するでしょうか。
返信する
Unknown (オキツ)
2021-03-05 23:55:57
言葉はデータではありませんから。
返信する
Unknown (ZIP)
2021-03-06 02:12:24
データではない
では?
返信する

コメントを投稿