『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

安心して宝物を見せられる場所

2022年06月16日 | フォルメン
子どもの頃、「男の子が泣くな」とか
「女のくせに出しゃばるな」とか、
いろいろ感情を抑えられたからか、
大人になってから、感情が素直に出せなくて困る、
なんてことがありますよね。

会話してて、相手が鎧を着込みすぎてる時は
「あ~今は鎧星人なのね」って、
基本的にはスルーするんだけど、
大事な人だと、そう、家族だとたまに
冗談めかして指摘することもあるのね。

今の自分を客観的に見ることができたら、
戦場じゃない所でまで、鎧を着込まなくていい、
お互いを知り合うためには、脱ぐ方がいい、
と思って欲しくて。

そしたら、ウチの男子(大人)は
「何でもかんでも自分中心に考えてるわけじゃない」
「いちいち気持ちなんか考えてしゃべってない」って、
不機嫌になっていく。うお~、めんどくせ~~!

いや、だから! そんなことくらい考えろって。
無意識だから振り回されてるんだってば!
自分の気持ちを大事にできたら、
人の気持ちにも気づけて人間関係も豊かになるから!

「鎧が必要なほど、私はアナタの敵ですか?」
、私もエネルギーを吸い取られ、
もはや、1ミリもしゃべる気がしなくなります。

でも、毎日顔を合わせているので、
諦めているわけではありません。

社会人としては及第点だけど、
心の肌理の大変粗いウチの男子を相手に、
「要らない分の鎧を脱いで、軽くなっていいよ~」と、
長年、念を送り続けております。

もっと一緒に楽しみたいけど、
会話が苦手ってのは、ホントやっかいだわ、
と思っていたところ、
昨日、新しいアプローチがひらめきました。

鎧がシャキーン!って発動するのは、
言葉の調和がズレた瞬間。
だったら、言葉を使わなければいいんだ!
もはや朝のルーティンになったラジオ体操は、
身体動かしてたら楽しいじゃん。

というわけで、身体を動かした後、
ていねいに淹れてくれたコーヒーを飲みながら、
正解も間違いも、成功も失敗もない、
判断も分析もしないアート」という方法で、
無言の会話を楽しんでみました。

紙に向かって、クレヨンを持ち、
1ストロークずつ交代で描いていく。
言葉は、はさまない。
お互いに無言で描き進め、
満足したら、そこでおしまいにする。


やってみたら、すごい集中した。

明るい線で相手に踏み込んでみたり、
相手の動きを受けて発展させてみたり、
それを調和のとれた色で包み込んでみたり、
紙自体の向きを変えてみたり、
広げて何か置いてみたり…。

いつまででも描いていられる。
30分くらい描いてたんじゃないかな。

言葉だと、わかり合えなさが際立って、
イラッとしたりするんだけど、
色や線や形だと、お互いに、
相手の動きを受けていけるし、
相手に飛び込んでいける。

合理的な意図とか知りたいタイプなのに、
こんな思いつきにつきあってくれるなんて、
それだけで満足。貴重な時間だったな。

無言のままに、お互いを尊重しながら、
気持ちの交流ができた気がした。

満足して手を止めてから、
2人の間に生まれた色の線や面を眺めながら、
「そっちからこの線が来た時にあーしたくて」とか、
「ここひっくり返してこー感じた」とか、
しばらく言ったり聞いたりしてた。

そのうちに、
手が勝手にクレヨンを紙の上に置き出して、
「赤はここかな?」「こっちじゃない?」
とかやってるうちにボードゲームみたいになってきて、
2人とも同時に「これで、完成!」ってわかった。



これ、改めて「アート」と呼ぶには微妙な、
他愛ないアクティビティかもしれないけど、
相手によっては、会話以上に、
気持ちを表現したり受け止めたりするのに役立ちます。

相手を受け止めると同時に、
自分の心も大事にしてあげる、
心に耳を澄ませる時間でもあるんだけど、
そういうのに抵抗がある人でも
気負わずに出来るのがスバラシイ!

安心して宝物を見せられる場所に
なり得るんじゃないかしら?
おもしろいので一緒にやってくれる人がいたら、
ぜひぜひやってみてくださーい!

絵の具とか、色鉛筆とか、パステルとか、
画材を変えたら、きっと感じる内容も変わるね。


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