コロナでふっとんで延期になった
フォルメン講座。
実に4か月ぶりに開催されました。
やんや、やんや~~!!
1人で描くのもいいけど、
やっぱり人と一緒にやるのって、楽しい。
フォルメンは「社会的な未来志向のアート」だそうで。
誰かと一緒にやることで、それを実感できた。
呼吸を合わせるとか、ちょっと譲り合うとか、
どっちがリードするとか、ついていくとか…。
そして、ひとつの画面の上に
一緒に動いてくれた人と自分の、動きの軌跡が見える。
佳き哉、佳き哉。
いろんなシンプルな線を動いてると、
何というか、言葉未満の
「コレ絶対こうだよね!」っていうものが、
少しずつ言葉になってくることが、頻繁にある。
今、紙の上で起こっているコレは、
私の日々の現場のコレのことであり、
社会でも同じように、コレはこうなっている。
もしかして、コレって法則じゃん!!
みたいなこと。
たとえば、単純な〇を動いていても、
あれこれ感じる。
〇の中は私、外から区切られた私。
これが、自我。
この中は安全圏であり、私の領域。
中はあったかくて、外は冷たい。
だけど、ず~っと〇を動いてたら、
同じ軌跡ばかりたどることになって、
あまりにも変化がないので飽きて来る。
安心だし、気持ちいいけど。
いったん自分を外から区切って、
自我をしっかり作ったら、
今度は、そのままじゃ飽き足りなくて、
外に向かって開いてみたくなる。
少しウチから外に向けて働きかけてみたり、
外からウチに向かって働きかけてみたりして、
外と内とが混ざりあうことで、
自分も成長するし、社会にも変化が起こる。
閉じて安心してるだけじゃ、
何の変化もないなぁ。
とは言え、急がずにまずは
自我をちゃんと整えておくことで、
いつか開きたくなる時が来るんだな、とか。
〇を描いてるだけで、無尽蔵にアレコレと、
紙の上の法則が、自分の法則でもあり、
社会の法則でもあるようなことが、
言葉になって紡ぎ出されてくる。
おもしろいわ~~~。
ってな感想を、最後に話したら、先生が
「聖書に“はじめに言葉ありき”ってありますが、
実際は、はじめに“動き”ありき、だと思います」
って、受けてくださった。
うん。
動いているうちに、言葉になっていく。
そんな体験が、どんどん増えてきて、
自分が感じることに敏感に動いていたら、
言葉が下りてきてくれる、ってのが、
実感としてリアルにあるのが、すんごいおもしろい。
いろんな形があるけど、
とりあえず、〇でも結び目でも何でも、
動いてみて、何を感じるか。
それに、素直に耳を澄ませてあげることは、
理屈じゃなくて、生身の自分として、
自分の心や感情を、
大切にしてあげることだと思います。
別にそれが目的じゃないけど、
ぐるぐるしてたら癒されるよ~。
※ご興味ありましたら、他にも
フォルメンの記事や図をどうぞ。
100枚くらいありますよ~。
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