もんく [とある南端港街の住人になった人]

生きてるよね?

スズキ君のハンドルグリップの右側がゆるいので何か間違ってると思っていたら、カルフールに5.9リンギットで売られていたので買ってみた。直径22mmと24mmのセットだ。(どうして左右が違うかと言うと右側はスロットルだから鉄パイプの周りにプラスチックの筒が付いているからだ。)

帰ってきて付けてみたら元もと付いていたのがゆるい理由がわかった。スズキ(スズキ君を作ったメーカーの名前)が鉄パイプを節約して他のメーカーより細いのを使っているせいだった。結局、新しく買ったものもゆるいのだけれど、元から付いていたキツイ方と新しいもののキツイ方を左右に使うことで解決した。せっかくセットで買ったのに結局片方しか使わなかった。もっとも片方づつは買えないのだけれど。スズキ(メーカー)、そんな分からない事するんじゃない!



生きてるかなあと思う人がいる。

14年ほど前(だったと思う)にインドネシアでYさんと言う男の人と知り合った。その人は色白長身で自分とは年齢が近かった。家がお金持ちだったのでその人は仕事などせずに遊んでいても大丈夫だったけれど、実際にYさんは仕事などできる人ではなかった。精神的にちょっとだけ故障した状態だったからだ。

はじめはそうは思わなかった。多少言動に自分勝手なようなところがあったがお金持ちの家のおぼっちゃまで育ったのだろうからそう言うこともあるだろう程度のもの。新聞などはよく読んでいたようだしニュースなどで世の中のこともよくわかっていた。Yさんがそんなに深刻な状態だとはYさんと会っているときには想像もできなかったほどだ。

しかしYさんは自分に起こったことがわからないわけではなく、ちゃんと把握していた。実家に帰るとどう言うわけか死にそうになる。その状態を見たわけではないので想像するしかないのだが、母親からの電話を受けたこともあるので彼の言う自分が死にそうになったと言う事も嘘ではないらしかった。

その頃、Yさんは自分のところに居るととても調子が良いのだった。そうした病気の専門家ではないのでその点について解説は加えられないが、どうも自分と居ることに居心地の良さを感じてくれていたらしい。

ただ、やはり赤の他人である以上、そうした状態がいつまでも続けられるわけではない。結局時間が流れるとともにフェードアウトになってしまった。日本から見れば時間が止まったようと見える場所であってもやはり時間は流れいろいろあって人との関係まで流れ去ってしまう。

Yさんは結局もっと居心地の良い場所を見つけられたのだろうか。そして今でもちゃんと生きているだろうか。誰か、ああ、Yさんなら元気にやってるって聞いたよ、程度のことでも教えてくれないかなあ? せめて生きていてくれれば...


などと、なぜか昔のことを思い出した。理由はなし。その他の人たちはきっと生きているよね?
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