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もんく [とある南端港街の住人になった人]

闘いの先にあるものは何か?

明日、先日の腎臓CTの結果を聞きに行って特に問題が無ければ午後からまた活断層ハウスに行く予定。今度のミッションは脱衣所の砂壁の除去と鏡台の改造。本とCDの棚をどうしようかと考えるも未だ案無し。早く廃材を片付けなければならないので廃材を切って除去した壁の凹みに入れるというのを先にすべきかとも考える。そうしようかな?


Xでテレビ放送されたA市元市長と最近話題のI(アイ)氏との論争が目に入ってしまった。あ〜あ。フェイクでないかどうか動画も探してみたがどうやら本物だった。

(最初に言っておくと、AとIの言っている中身に関してはここでは何も言うつもりはない。どちらが良くできてどちらがその逆かは環境その他いろいろ違うので優劣をつけて良いかどうか即断できないと考える)

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I「A市の子育て支援はゼロサムゲームで、他から取ってるだけ」
A「違います、A市は出生率トップですから。ゼロサムではなく、出生率が上がってます」
I「A市が上がって、他は子育て支援が抜けた分だけ煽りを受けるのでは?」
A「いえ、A市だから子供を産めるとして2人目3人目が生まれる」
I「T市の子育て支援はA市と変わらない」
A「全然違います、デマですよそれは」
I「ではA市は給食費無償化してますか?」
A「うちは医療費も保育料も児童手当もやってる、T市に給食費だけで自慢されても・・・口悪くなっちゃった、ごめんなさい」
I「小中学校ではしてないですよね?」
A「うちは給食は中学です」
I「給食費は金額が大きいんです」
A「医療費の方が大きいです、事実関係が間違っています」
I「じゃあ、小さくないですよね給食費」
A「小さくはないですね」
I「じゃあなんで(小学校の給食費)やらなかったんですか?」
A「A市は給食費だけじゃないんです、医療費 保育費 児童手当 養育費 奨学金、児童相談所も作った。T市はやってないですよね?」
I「なので」
A「やってますか?」
I「やってるものもあります」
A「言ってください」
I「・・・」
A「何をやってますか?」
I「え、うちがやったことですか?」
A「そうです、給食費以外。」
I「給食費、保育士の待遇改善、その中にはエプロンやオムツのサブスクもある。人口3万人で1000万円もかかるんです」
A「それで出生率は?」
I「上がらないです」
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というわけで、政策とその結果について言うつもりは全くない。勝ち負けについてはもっと言うつもりはない。

問題にしたいのは「なぜこんな論争をせなばならないのか」ということ。別々の場所で別々のことをして、そして結果が違う。自分はこれができて相手はできなかった。こちらは成功してあちらはダメ。その話から何が得られるというのか?

問題はやった事ではなくて「やり方」なのだというのがこれを観てよくわかる。相手を批判する必要など何もなくて、もしあちらで成功しているのであれば謙虚に学べば良いし、前提条件が違うのなら修正すれば良い。あちらで失敗したならば分析して違うやり方を模索するのも良いかもしれない。お互いに協力し合うという手も無いとも限らない。

こんな闘いの先に見えてくるものは何なのか?ここでの勝ちは誰のためのものなのか?これはそもそも政治なのか?民主主義の民主を実現する過程がこれなのか?政治はいつまでパワーゲームと定義されなければならないのか?

そして、人間の生き方として怒りや憎悪の拡散、自らの力の見せつけ、分断と議論の放棄は正しいことと言えるのだろうか?

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