(野中兼山作 手結港)
土佐のくじらです。
私の古い友人であり、今行われている参議院選挙高知選挙区候補者の橋詰つよし氏の地方政策は、余りにも優れているので、
友人であることを差し引いても、高知県民としては応援せざるを得ません。
地方政策というのは、とても大事なのです。
それは、「候補者が、地域を見ている証」となるからです。
お医者様は患者を診、検査結果を診た上で、総合的な診断を下して後、治療を開始し薬を処方しますね。
政治も同じなのです。
現場を見、住民の声を聞き、それらから導き出される問題点を総合的に判断し、問題解決策を総括的に選択するなり、創造するなどして解決していくものです。
これが、「国民の側に立った政治姿勢」の表れなのですね。
医者が患者も診ずに、検査もせずに治療を開始したりすれば、どう思われますか?
それはきっとヤブ医者か、病院や医者の都合で治療しているとしか思えませんよね。
政治も同じです。
もしも地方選出候補の方が、地域に関する定見を出せなかったり、将来のビジョンを示せないのであれば、
それは地方を見ていないか、地方を見て問題点を抽出する姿勢や技能がないということです。
もしくはその候補者は、一定のイデオロギーを押し付けることにのみ関心があって、
現実に国家や地域(地域も国家です)、そして国民や地域の有権者(地域の有権者も国民なのです)を、
どう導いていくかには、関心がないということの現われです。
これはつまり、その候補者が出馬する母体政党が、イデオロギー政党であることの証明なのです。
イデオロギー政党は、イデオロギーの国家国民への定着にのみ関心があるのであって、
国家や地域そして国民を、どう導いていくかには関心がないのですね。
イデオロギー政党は、あくまで政治の立脚点が、党にある訳です。
これではその党が与党になったときに、どういう施策を取られるかはわかりませんよね。
そこに怖さがある訳です。
手術の必要性を精査してから手術をする医者ではなく、手術の腕を上げるためや、成績を確かめるために手術を勧める医者のようなものです。
私は、橋詰つよし氏が今回出馬した幸福実現党の、4年前の立党時からのウォッチャーですけど、
当時、幸福実現党の高知選挙区出馬候補者はいずれも、「今後の国家をどうしたいか?」には答えられても、
「今後、高知県をどうしたいか。」には答えられませんでした。
しかし今回橋詰氏は、緻密に練りこまれた地方政策をビジョンとして持っていることがわかりました。
私は「橋詰氏は、これぞ野中兼山の再来だ。」と思いました。
これは、幸福実現党という政治組織が、決してイデオロギー政治組織ではないという証明なのです。
仮にも、幸福実現党という政党の枠組みの中で氏は活動しているのですから、母体である幸福実現党が、
自らのイデオロギーの普及にのみ関心がある政治組織であるならば、こういう橋詰氏の行動は許されないのですね。
私は幸福実現党の、高知以外の選挙区での地方政策を存じませんが、そういうことは関係ないのです。
4年前の、高知選挙区候補者が地方政策を示せなかったのは、幸福実現党がイデオロギー政党ではなくて、
単に地域を見るだけの時間的余裕や、当時の候補者が地域を見る目がなかったという、時間的、個人的な理由であっただけということです。
それを橋詰氏は、今回証明したのです。
つまり幸福実現党は4年かけて、国政レベルだけでなく、地方レベルにまで定見を持つまでに成長したということです。
そしてまだ、地方レベルでの定見を持っていない選出候補がいたとしても、それは一定の時間のもと、ちょっとしたコツなどの技術的なことで、他の候補者も今後は持つように、いずれはなるだろうということです。
またイデオロギー政党であれば、その政党のイデオロギーに共感する人が増えない限り、得票は得られませんが、
地域政策があれば、それに共感する人であれば、イデオロギーに関わりなく得票の機会が増えることも意味します。
これが国民政党の証です。
国民政党であれば、イデオロギーに関わりなく得票を得られるのです。
一定のイデオロギーの元、活動している政治組織は、そのイデオロギーを信奉する人以外の支持は、まず得られません。
これは宿命です。
長く活動している政治組織なのに、ある一定以上の支持が得られないところは、イデオロギー政治組織ということです。
それは、患者を診ない医者のごとく・・・。
これ以上の喩えはやめておきますね。(笑)
幸福実現党は、幸福の科学という宗教を母体とした宗教政党ですが、ここが単なるイデオロギー政党ではなくて、
同時に国民政党であることを、橋詰氏は立派な地域政策を提示することで証明したのです。
それはつまり、橋詰氏が所属し、母体としている幸福実現党は、
「国民の側に立って活動している政治組織」であるという証明でもあるのです。
(続く)