土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

北海道が寒冷化した理由をさぐる

2013-07-29 15:27:36 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。
前回記事を読み直してみると、実にあっさり書いていて、しかも結論を先延ばしにしていますね。(笑)

これでは、いつまで経っても、縄文時代から抜け出せません。(笑)
そこで補足説明的に、もう一本書くことにしました。

前回記事で私は、

日本が寒冷化し始めたことで、縄文文明の衰退が始まった。
北海道で、主食の【栗】が採れなくなったのが、その証拠だ。

という、思い切った自説を述べさせていただきました。

私は、地理や気象も好きで、地図ばかり眺めている時も多い人間です。
そのような私は、この事実が解せないのですね。

歴史的には、北海道で栗が栽培できた過去の事実がありますが、
地理的条件で言えば、北海道で栗が栽培できることはあり得ないのです。

ここはずっと昔から、1万年とは言わず、もっと悠久の昔から、今のような、亜寒帯気候でなければオカシイ地形です。
常識的には、暖かい時代があったはずがない地域なのです。

なぜかというと、北海道の周囲には、オヤシオという寒流が流れているからです。

はっきり言って、オヤシオが流れているので、北海道は寒いのですね。
高緯度だから寒いのではないのです。

東北地方と北海道。
緯度的には、ほとんど無視できる範囲の中にしかありません。
世界地図を広げていただければわかりますが、北海道は南ヨーロッパのスペイン南部と変わらない緯度です。

しかし東北と北海道だけでも、気候は違いすぎますね。
北海道は寒すぎます。

雪の質なんて、両者はぜんぜん違いますよね。
北陸や東北地方の雪は、ベタ雪ですね。
これは、日本海を流れる、暖流の影響で、湿った雪になるためです。
暖流は多量の水蒸気を、上空に出しているからです。

一方、北海道に降る雪は、水分を余り含まない、サラサラ雪です。
北海道には暖流は流れ込まず、寒流の影響下にありますので、雪に湿り気があまりないのですね。

雪が降る量も、北部の北海道より、南部の東北日本海側や北陸地方の方が、圧倒的に多いですよね。

この、北海道と東北の気候の違い。
これは、島の周囲の、海流の温度違いなのです。

以前記事に書いた、高知は黒潮が近くに流れているので、夏場に余り気温が上がらない・・・というのと同じで、
海流というのは、気候に絶大な影響を与えるものなのです。

北海道が寒いのはオヤシオが原因ですから、これはいくら地球の平均気温に変化があっても、現場の気候条件は同じです。
ですので、過去の歴史で、北海道に栗が栽培できた事実がある・・・この事実から導き出される推測は、

その頃(縄文時代)には、北海道の周囲に、オヤシオ(寒流)が流れていなかった可能性が高いのですね

つまり、この北海道の寒冷化という事実から導き出される結論は、
海流の流れが変わるような、地球規模での大異変が古代に起こった可能性を、縄文文明の衰退は示唆していることになるのです。

ではどうすれば、流れていなかった寒流が、北海道に流れるようになるのでしょうか?
どう推測すれば、これらの事実がつじつまの合うものになるのでしょうか?

ミステリーですね。(笑)
これこそが、次回以降のテーマです。

                                        (続く)


縄文文明の、意外な終わりの始まり。 

2013-07-29 11:38:53 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。

これまで綴ってきたように、平和で高度な文明を、1万年以上という、かなりの長期間続けた縄文時代ですが、
ついにその、誇るべき時代も終わる時がやって参ります。

この終わり方も、通常の歴史のパターンとは、何か違っているように思います。
何とも静かに、ロウソクが消えるがごとく、次の時代に移っていくのですね。

古代ローマ文明は、それが始まる時も、またそれが終わる時も、激しい戦いが起こりました。
古代ローマに限らず、だいたい文明や時代が変わる時というのは、激しい変動や戦争などによってそれがもたらされて、それが”国創り伝説”となるのが通常なのですね。

日本でも聖徳太子の国創りや、平安から鎌倉、室町から江戸、江戸から明治など、時代の端境期というのは、強烈な混乱が伴うものです。

しかし、こと日本の古代史というのは、どうもその、激変の跡形すらない、いたって平和な終わり方なのです。
とてもとても、不思議です。

文明の耐用年数が過ぎていたのは分かります。
それはそうでしょう。
何せ、1万年以上続いていたのですから。

では、このとても静かな縄文時代の終わり方を、一体どのように説明すれば、つじつまが合うのでしょうか?
私は、日本列島が寒冷化したから だと考えているのです。

「えっ、うそでしょ!」
「地球温暖化って、みんな言ってるじゃん!!」

って、皆様おっしゃるでしょうね。

しかし、よくよく踏みとどまって考えてくださいね。

縄文時代の主食は何でしたか?

そうですね。正解は、【栗】です。

そして縄文文明は、どこからどこまでの範囲があったでしょうか?

そうです。北海道から九州までの、全日本を領域とする文明でした。

さて問題です。

今現在、北海道で栗は採れるのでしょうか?

そうですね。今北海道では、針葉樹林ばかりが覆っているはずですね。

寒くて、栗は育たないのです。

そうすると、
縄文時代の北海道は、今よりもずっと暖かかったはずなんですね。

1万年前に、地球の氷河期が終わり、云々・・・

というような定説がありますが、縄文遺跡等を見る限り、
日本では1万年前くらいから、むしろ寒冷化が始まっていると思われるのですね。

この日本全体の寒冷化によって、縄文人の主食である、栗が採れなくなったり、採取量が減ってきたことによって、
縄文文明は、少しずつゆっくりと、衰退していったんじゃないかと、私は考えています。

ではなぜ、日本は寒冷化したのか?

これは、地球規模での大地殻変動が、この時期に起こったとしか考えられないのです。
次回はその、地球規模での一大スペクタルを、縄文文明に絡めてご紹介いたします。

                                    (続く)