土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
どうやら安倍内閣は、河野談話を追随するようです。
これは恐らく、同盟国アメリカとの絡みがあると思います。
従軍慰安婦問題然り、日本の歴史問題に絡む云々というのは、
大東亜戦争において、当時の日本が悪者であったという歴史史観が根源にあります。
それは今や、現代日本人が持つ主流の歴史観になろうとしております。
国宝の根源である、日本国憲法自体が、その理念によって書かれており、
法律を始め、教育までもが、日本性悪説によって成り立っているのが、今の日本の現状です。
その日本性悪説は、韓国をはじめアメリカの、対日外交の基本ですらあります。
なぜならばかつて日本と戦い、日本を悪者にすることによって、自国を正義としたのは、他ならぬアメリカであるからです。
アメリカと日本はその後、軍事同盟を結ぶ仲にまでなりました。
当時はソ連との冷戦真っ只中にあり、日本がある程度強くならないと、ソ連の盾になりえないということもありましたが、
つい先ほどまで、雌雄を決する戦いをしていた相手との軍事同盟は、それはひとえに、日本が悪い国家ではなかったことを、
戦いの当事者であったアメリカも、十分熟知してたということです。
でなければ、相手国のために自国民の血を流す可能性のある、軍事同盟など結べるはずはありません。
ですが、アメリカを始め日本までもが、かつての歴史を振り返り、
日本性悪説は真か?という議論を、これまではしては来ませんでした。
それは、軍事同盟下における、強国アメリカへの配慮と言えば配慮でしょう。
なぜならば、その日本の正しい歴史観、つまり私がこれまで述べてきた、
日本の戦争は、侵略戦争ではなく、すべて国防戦争 という理念や、
人種差別撤廃理念の日本と、人種差別を前提にした、当時の植民地主義国家群との戦いが、大東亜戦争の本質
という理念を、アメリカ政府に飲ませることは難しいというのが、これまでの行政判断であったということだろうと思います。
ですから、
ことさら韓国の従軍慰安婦問題然り、それらの像がアメリカにまで建っている然り云々、という現状を打破するにしても、
所詮はアメリカの国益の許す範疇にしか、日本が取り戻せる歴史はない・・・ということを、
安倍首相が思っていたとしても、不思議でも何でもありません。
安倍首相は昨年5月に、韓国から従軍慰安婦であったとされる、老婦人2名が来日する折でも、
アメリカ政府から、歴史観に関する事項に釘を刺されて、急激にトーンダウンした経歴があります。
まぁ、それが私が、拙ブログを開設しようとしたきっかけでもあるのですが。
この安倍首相にして、アメリカ政府のご意見に、その政治理念を左右されるというのは、
これは氏が持つ、国家観の限界を露呈していると思い至ったからです。
この理念の下、ブログ開設時に書き綴ったのが、カテゴリー【誇るべき日本の歴史】のシリーズです。
独立国の自由というのは、最終的には、国防の自由の範疇の中にあります。
すなわち、国防力こそが、国家の自由を担保しているわけです。
左翼的な方々が何を言おうと、いくら、表向きは理想的なフレーズを述べようとも、これが世界の現実です。
安倍首相においては、国防の自由の範疇が、同盟国アメリカの軍事力と共にある国防・・・でしかないと、私は見ています。
これが安倍首相の持つ、国家観の限界です。
残念ながら、これもまた現実です。
つまり、「日本を取り戻す。」という、安倍政権樹立時の、自民党のキャッチフレーズですが、
このままでは、取り戻せないと私は考えます。
本気で取り戻す気であるならば、今自民党に在籍している、河野洋平氏の子息である河野太郎氏を切ってでも、
日本の正しい歴史観を取り戻し、それをアメリカに納得させるべく、国際的に政治活動やロビー活動をするのが本筋です。
アメリカは確かに、自国の国益にしか考えないところがありますが、自由の国家でもあります。
ですから、声を上げれば、賛同する人たちも多くいるのです。
しかし、声さえ上げないならば、話にならないです。
今回の「候の談話を前向きに評価する。」という政府見解は、4月導入の消費増税に加え、
安倍内閣の崩壊の序曲となる可能性が高いです。
その最も日本的立脚点に立った内閣の崩壊は、本当の意味において日本を取り戻す、
否、日本の誇りを取り戻すための、歴史の見解革命の序曲となるでしょう。