土佐のくじらです。
兄源頼朝は政治面において、弟義経は軍事面において、双方とも時代と空間を超えた素質の持ち主でした。
ある意味で、どちらかが凡庸であれば、あるいはこのスーパースター兄弟の悲劇はなかったと思います。
また、同時期に平清盛のような、これまた時代と空間を越えた見識を持つ仲介人がいれば、両者の突出した才能をリンクさせ、もっとスケールの大きな国家へと、中世日本を導いたのやも知れません。
ともあれ平安末期に現れた、このキラ星のような偉人たちは、当時の時代精神として生き、歴史の歯車を回すだけが役割だったのかもしれません。
当時においては、上記に書いた平清盛役、すなわち歴史的仲介人の役割を果たすポジションにいたのは、東北の奥州藤原氏だったと私は思うのです。
奥州藤原氏は、平安末期に東北地方一体を支配していた巨大勢力です。
金の産出もあり経済的に優れ、その財力は西の朝廷勢力を凌駕していました。
朝廷には献上品を送るなどの融和策を講じ、政治力と経済力で東北地方を、事実上独立させていたのが奥州藤原氏です。
マルコポーロの描いた黄金の国ジパング伝説の元は、奥州藤原氏・・・という説もあります。
当時の東北は、コメの産出が今ほど出来ません。
ですからヤマトの国づくりの基本である、「コメと酒外交」が上手く機能しなかった可能性も高く、縄文文明がまだ残っていた可能性も高いと考えます。
そして恐らく、縄文以来の交易による、富の蓄積があったでしょう。
体格の大きな馬の産地でもあり、それは大陸からもたらされたものではなかったかと想像します。
奥州藤原氏3代当主秀衝(ひでひら)は、幼少時の義経を領内で育てました。
そして成人した義経を、兄頼朝の戦いに参戦させ、義経の数少ない後見人でした。
義経は、奥州藤原流の馬による攻撃で、破竹の快進撃を成したとも言えます。
馬は人よりも、移動距離もスピードも桁違いです。
義経は兄頼朝に追われた晩年、3代当主秀衝を頼り、奥州に身を寄せます。
秀衝は義経を構い、「義経を、奥州藤原氏の大将軍として、頼朝と対峙せよ。」と遺言し、病に倒れこの世を去ります。
しかし家督を継いだ泰衡は、父の意思を守りませんでした。
泰衡は頼朝に脅され、自集団にいる義経を軍事的に包囲し死に追いやります。
後の織田信長が部下の裏切りにより滅びたように、いかに軍事的天才と言えども、自軍に裏切られればひとたまりもありません。
そして奥州藤原氏は、頼朝軍の攻勢を受けて滅びます。
当たり前です。
義経なき、そして独立の気概なき藤原氏を攻めることなど、こんな容易なことはないからです。
義経を大将軍に・・・。
父秀衝の遺言どおりにしていれば、奥州藤原氏は安泰だったのです。
なぜならば、義経がいれば、頼朝は奥州攻めができないからです。
頼朝は、義経の強さを知り尽くしているからこそ、母体主である藤原氏を恫喝しているからです。
こんなこともわからない国主に、率いられる国民は哀れです。
近視眼的で大局観がなく、つかの間の平和や自信の美意識などの小さな価値観のためだけに、本当に大切なものを売り飛ばすような国主は最悪です。
結局義経を葬った後、頼朝は奥州攻めをしました。
泰衡の判断は、結局、敵を引き入れたことになるのです。
頼朝に攻め入られた泰衡は、拠点である平泉に火を放ち逃げました。
敵にくれてやるのが惜しかったのでしょうか?
お陰で、この国から、多くの富が消失しました。
砂金のありかも、貿易に関する多くの人材もソフトも・・・。
泰衡は政治家としだけでなく、人間として大切な何かが欠落している人だと思えます。
判断の全てを、間違うタイプです。
また間違いの質が悪く、ずるずると間違い続けるタイプなので、大きな判断業務をさせてはいけない人です。
現代で言うならば、鳩山・菅元首相や、河野談話を発表した河野洋平氏に似たタイプだと思います。
自分は良いことをしているつもりで、国益を損じ、他国を自国に引き込むタイプの政治家です。
ともあれ、頼朝は東北を自営に組み込みましたが、豊かな奥州ではなく、ただの広大な地域でした。
泰衡が義経をかばい続け、独立の気概を見せてさえいれば、この時代以降の日本の歴史は、大きく飛躍できていたはずです。
(続く)
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どちらが本当の泰衡でしょうか…?
私はご紹介いただいた「炎立つ」を、まだ存じ上げないので、公平な判断をしていないかも知れません。
また本当に、人物としては、良い人だったのかも知れません。
しかし政治家とすれば、国民を守り、国家を繁栄させてこそ、良い政治家です。
藤原秀衡は、繁栄を謳歌した国家であった、奥州藤原氏を捨て、国民を捨てました。
戦わずして、頼朝にやられるがままにしました。
良い人であっても、政治家としては、私は最低だと思っています。
今の左翼的心情の政治家は、秀衡の発想に、とても似ていると思います。