土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
今回は、私が小学生の夏休みの時の話です。
父と、父の実家に数日間、滞在したことがありました。
父の実家は高知県の山村の、平家の落人(おちゅうど)伝説の残る水墨画の掛け軸のような、僻地中の僻地の集落です。
父はとても無口で、不器用を絵に書いたような人でした。
夏休みと言っても8月の終わり頃、台風一過の少し秋めいた北風が吹き始めた、ある夜のことです。
夕食を終え、お風呂に入ろうかという時に、父は私に言いました。
「出かけるぞ。」
「お前に、宝物を見せてやる。」
そう言って、私を外に連れ出しました。
真っ暗闇のケモノ道に入り、木々の中、山中をしばらく歩きました。
子供心に、心細く、とても怖かったのを覚えています。
いくらほど歩いたでしょうか。
かなり暗闇にも眼が慣れ、足元の悪さも気にならなくなった頃、急に開けた景色の場所に、父と私の二人は出ました。
私は言葉を失いました。
そこには・・・
満天の星空が、空一杯に広がっていました。
暗闇に慣れきった眼には、星々が・・・そう・・・
銀河の中心に、放り込まれたような、輝きに見えたのです。
「これほどの星々に、囲まれているんだ。」
そう思うのが精一杯で、言葉を失い、感動で涙が出そうでした。
筆力がなく、とても描写できませんが、
一つ一つの星が、とてつもなく大きく見え、
「まるで、星が垂れて落ちてくるのではないか・・・。」と、思った程です。
驚きの余り、言葉を失った私に、無口な父は言いました。
「お前が大人になり、もしも失敗して、無一文になったら、ここに来い。」
「一円も払わずに、手に入る宝が、ここにある。」
そして父は、続けてこう言いました。
「お前が大人になり、成功して、金持ちになったら、ここに来い。」
「いくら金を積んでも、手にできない宝が、ここにある。」
父も亡くなり、その場所がどこにあるかは、もうわからなくなりました。
しかし父が見せてくれた、美しい星空は、
私の心に焼き付いて、今でもありありと思い出されます。
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でもそのちっちゃさが、なんだかありがたく感じたのは、とても不思議でした。